――いくつもの過去を連れ、語りかけてくる写真たち――山本伸 / 東海学園大学教授・英語圏カリブ文学週刊読書人2021年4月9日号闘争の時代 ドキュメント南アフリカ1992‐1994著 者:前田春人出版社:未來社ISBN13:978-4-624-41105-3 ある程度知っていることやところの写真集ほど、「読み物」として面白いものはない。「もしや」という記憶を手掛かりに「やっぱり」と再び深く読み込むことになるからだ。この本はアパルトヘイト演劇の戯曲を翻訳したことのある筆者の「読書」欲を駆り立ててくれる。写真集はジョハネスバーグ、スクォッター・キャンプ、出稼ぎ労働者、政治抗争の四幕から成る。それはまるで反アパルトヘイト運動に絶大な影響を与えた南ア演劇のように、強烈なメッセージとある種の熱狂をもって迫ってくる。 まず目を奪われるのは、南アフリカ港湾鉄道労働者組合のTシャツを着た労働者たちのデモに続く、土地奪還のプラカードを掲げる住民たちの写真だ。アパルトヘイト政府が軍事演習用地として彼らから取り上げたリームファスマークのことである。土地は単なるプロパティではない。人生の文脈が張り巡らされた、かけがえのない魂の場所なのだ。 何気ない街角のコンサートの張り紙ですら、躊躇なく強烈に語りかける。ラッキー・デューべ。反アパルトヘイトを歌い、発禁の圧力をはねのけてプラチナ・アルバミストになったアフリカ随一のレゲエ歌手である。「タウンシップのマドンナ」と呼ばれたブレンダ・ファッシーが舞台前の観客の目をくぎ付けにしている写真もまた魅惑的だ。ネルソン・マンデラとも交流のあった彼女もまた反アパルトヘイトの「戦士」だった。 街に仕事を求め、黒人居住区からあふれてスクォッター・キャンプに流れ込んだ人びとの暮らしにもまた、歌があり踊りがあった。家族が身を寄せ合うバラックと白人の下で働くための一張羅のネクタイ姿とのアンバランスがなんとも切ない。しかし、頁をめくるたびに目に飛び込んでくる笑顔、笑顔、笑顔。人びとはけっして笑いを忘れなかった。子どもたちは水汲みの苦を遊びに変え、男たちは集い笑ってはコーラに酔いしれた。 希望の光明はそれだけではない。カメラを見据える女性が胸に抱えていた大きな十字架、壁に貼られたマンデラのポスター、そして、背後からおどける夫の前で女性が抱く赤ん坊。歌や踊り同様、アパルトヘイトの辛苦を癒し、反アパルトヘイトへの原動力となったのが信仰であり、二十七年もの投獄に耐えたネルソン・マンデラであり、そして何より、わが子を想う親心だったことは何枚もの写真が物語っている。 しかし悲しいことに、反アパルトヘイト運動にはそんな子どもたち自身が「戦士」となった事件も少なくない。笑顔で写り込む制服姿の女生徒たちは一九七六年のソウェト蜂起を思い起こさせる。白人支配の象徴だったアフリカーンス語の強制に抵抗した高校生が授業をボイコットしデモに発展、警察隊との衝突で多くの犠牲者が出たのだった。 写真は過去を連れ戻す。筆者がジャマイカ滞在中にネルソン・マンデラとの遭遇に歓喜したこと、ニューヨークのリバーサイド教会でデズモンド・ツツの演説に涙したこと。アパルトヘイトという史上最悪の法律が施行されていたという過去、正義の「戦士」たちの命が数えきれないほど奪われたという過去、しかし、それを持ち前の歌と踊りと笑いで乗り切り、希望の光を糧に耐え抜いた南アフリカの黒人たちがいたという過去。 本を閉じてもなお、連れ戻された過去は残像となって語りかけることをやめない。(やまもと・しん=東海学園大学教授・英語圏カリブ文学)★まえだ・はると=写真家。報道写真家・樋口健二氏に師事。二〇〇三年、写真集『QuietLife』で日本写真協会・新人賞を受賞。写真集に『水田』など。一九六三年生。