――歴史小説に、ミステリーと「経済」要素を――小谷野敦 / 作家・比較文学者週刊読書人2020年5月15日号(3339号)まむし三代記著 者:木下昌輝出版社:朝日新聞出版ISBN13:978-4-02-251664-0「あとがき」を見ると、『小説トリッパー』に「蝮三代記」として千枚以上連載したものを破棄して、改めて書き下ろしたとあるから驚いた。連載のまま書籍化すると埋もれる、とあるが、おそらく連載は斎藤道三三代を史実に沿って描いたもので、長いこともあり、売れないと見たのか。斎藤道三が実は二代にわたると分かって、宮本昌孝が『ふたり道三』を書いており、これは割と長く、二度文庫化されているが、それに対してどう新味を出すかということが問題だったろう。一代道三なら司馬遼太郎の『国盗り物語』がある。 読んでみると、書き下ろしのほうは、短くした上にミステリー要素を入れてある。私見では歴史小説とミステリーとでは愛好者にずれがあり、ミステリー好きで司馬遼太郎をバカにする人もいる。歴史小説にミステリーを導入したといえば加藤廣の『信長の棺』があるが、木下は、初代の長井新左衛門尉=松波庄五郎の父として松波高丸という人物を設定し、これが管領・細川勝元の側近だったという設定から、本来の三代道三の話の合間に高丸の逸話を入れ込み、「国滅ぼし」というキーワードで全編をつなぎ、初代新左衛門の仲間として源太など複数の架空の人物を配して、美濃乗っ取りの策がなされるという仕組みにした上、「道三」の名をもつもう一人の歴史上の人物をからませるというからくりにした。 連載を捨てて書き下ろしをするほどに、歴史小説の世界が凄絶な闘争場になっているのか、とも思うが、実際、司馬、吉村昭、宮尾登美子らののち、歴史上の、小説にして売れる人物はあらかた描きつくされており、大河ドラマになったからといって売れるわけではないのが現状だ。また技法についても、そうそう新機軸は打ち出せない。木下はここで「経済」に目をつけた。これまた、佐藤雅美がかつて徳川時代を舞台にした歴史経済小説の世界がある。実は木下の、直木賞候補になった『宇喜多の捨て嫁』は、私は高く評価できなかった。諱(いみな)を呼ぶ程度のことであんな暴力沙汰にはなるまい。それに比べたらだいぶ小説はうまくなった。しかしトリックのために、ところどころ叙述トリックのように会話がおかしくなるのはやむをえない。また、私は自分が文筆で生計を立てているから、作家にとって売れるか売れないかは絶体絶命の場であるのも分かっている、のだが、ミステリーに歴史小説が膝を屈するのはいかにも悔しい。 小説が面白いということを言うために「イッキ読み!」などという言葉が使われるが、一気に読むというのは目にも良くないし、文学的にも良くはない。むしろミステリーの読み方で、歴史小説はゆったりと川が流れるように読みたいものだ。ネタバレを避けたためにあまり中身に踏み込めなかったが、決して木下はそういう意味での歴史小説の魂を失ってはいない。いずれ川の流れるように読める堂々たる長編をものしてもらいたいと思った。(こやの・あつし=作家・比較文学者) ★きのした・まさき=小説家。二〇一二年「宇喜多の捨て嫁」でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。著書に『宇喜多の捨て嫁』(直木賞候補)『人魚ノ肉』『敵の名は、宮本武蔵』『信長、天を堕とす』など。一九七四年生。