――六〇年代の学生運動の切迫感、真剣さが伝わる――小杉亮子 / 日本学術振興会特別研究員・歴史社会学・社会運動論週刊読書人2020年12月11日号過激派の時代著 者:北井一夫出版社:平凡社ISBN13:978-4-582-27833-0 本書は、写真家の北井一夫が一九六四〜六八年に撮影した学生運動の写真を中心に構成された写真集である。評者は写真や美術の専門家ではないので、美術史や写真論の観点から作品を批評することはできない。ここでは、当時の学生運動に関心を持ってきた社会科学の研究者として、本書に目を通すなかで心が動いた箇所や考えたことについて書きたい。 北井は本書のなかで「私は全学連と全共闘など過激派と呼ばれた学生たちの写真を、その中の一人として撮っていた」と書く。一九六七年一〇月八日の第一次羽田闘争を写した作品群からは、「その中の一人として撮る」ことの意味がよくわかる。 当時広がりを見せつつあったベトナム反戦運動と学生運動にとって、第一次羽田闘争はひとつの転回点となった。この日、佐藤栄作首相が東南アジア諸国訪問に羽田空港から出発することになっていた。訪問先には、ベトナム戦争当事国でアメリカの支援を受ける南ベトナムが含まれており、学生をはじめ、さまざまな人びとが出発阻止と抗議のために羽田空港周辺に集まった。そして、機動隊との衝突のなかで京大生の山﨑博昭が亡くなり、衝撃を広げた。 この日の闘争に集まった学生たちの傍らに立ち、北井が撮影した写真からは、かれらの切迫感と真剣さが伝わってくる。 たとえば、機動隊車両の金属板を摑んではがそうとする六本の手を、横から写した作品がある。手の持ち主の顔や胴体は写っていない。六〇年代の日本で巻き起こったベトナム反戦運動は、たくさんの無名の人間による集合的な営みだったのだと、直観的に感じさせられる。 本書には、この日のネガのベタ焼きも数ページにわたって収録されている。六本の手の写真が撮られた前後には、ひとりが機動隊車両に手をかけて、金属板を棒でこじあけ、ほかの手も伸びたというプロセスがあったことが、ベタ焼きからはわかる。「その中の一人として撮る」ことは、いわゆる新左翼セクトのひとつである、中核派との近さのなかで作品を制作することでもあった。巻末の目録と略年表によると、中核派の機関紙『前進』に作品を提供するなかで、北井は「政治が優先する写真の扱い」に悩み、結果として「セクトを離脱、撮影の自由を求めて思考した」。北井の写真は『前進』紙や英字パンフレット『ZENGAKUREN STRUGGLE OF JAPANESE STUDENTS』の表紙などに使われたが、現代のわたしたちは写真集に収められた作品を、こうした当時の文脈から切り離して、自由に解釈することができる。作品が持つ迫力や美しさは、政治が優先された表現では出せないものであるようにも感じられる。 しかし、だからこそ、ここに収められた力強い写真が『前進』紙を飾ることによって、当時の学生たちに与えた影響はどれほどのものだったのかを考えることにも、意味はあるだろう。一九六〇年代後半には日本だけでなく、欧米諸国をはじめ各国でベトナム反戦運動や学生運動が高揚した。英字パンフレットが外国にも送られたのだとしたら、北井の作品は、同時代の外国の若者たちにも共鳴を起こしていたかもしれない。 本書では、運動内部に足場を置いて写された貴重な写真をとおして、一九六〇年代当時の学生運動に出会える。同時に、これらの写真が置かれていた歴史的な、そして運動的な文脈を考えることをつうじて、当時の運動に想像をめぐらせることができるという意味でも貴重な一冊である。(こすぎ・りょうこ=日本学術振興会特別研究員・歴史社会学・社会運動論)★きたい・かずお=写真家。満州鞍山生まれ。日本大学芸術学部写真学科中退。写真集『三里塚』で日本写真協会新人賞受賞。『村へ』で第一回木村伊兵衛写真賞受賞。写真集に『流れ雲旅』『いつか見た風景』など。一九四四年生。