――人間として生活を続けることの絶望と可能性――樋口恭介 / SF作家・会社員週刊読書人2020年9月18日号かきがら著 者:小池昌代出版社:幻戯書房ISBN13:978-4-86488-204-0 本稿は二〇二〇年の八月二九日に書かれている。二〇一二年から約八年間にわたって続いた、憲政史上最長の政権、第二次安倍政権の正式な幕引きが告げられた翌日のことである。 COVID-19の感染拡大は周期的に続いており、それに対する効果的かつ現実的な施策は、専門家の間でも未だ一致を見ておらず、国内外問わず人類は混乱の渦中にあり続けている。混乱はいつ収束するかもわからない。四月には収束するだろうと言われていたものが五月になり、六月になり、夏になり、秋になり、冬になった。政治家たちは現在、二〇二一年、延期された東京五輪の開催までには収束させる、と息巻いているが、そうした言は、もはや多くの国民には信じられていない。病への不安と生活への不安を絶えず天秤にかけながら、誰もが目隠しをしたまま地獄への道を歩かされ続けている。 小池昌代『かきがら』は、そうした不安の中で書かれた書物である。そしてそれは、これからもそうした不安が続き、拡大し、増殖していくことを予期する書物であり、自らの予期が現実化する世界の中で読まれることをも織り込んでいる書物である。世界は崩壊しつつあり、しかしそれは世界の終わりでは決してなく、崩壊の過程にあって、宇宙は拡大し続けている。わたしたちを包み込む貝殻は、破壊されながらもなお自らを殖やし続けている。たとえ文明が失われたとしても、生命はあり続ける。都市の中に息づくネズミやカラスたちは、都市が失われれば森へと戻り、埋め立てられた川は光を取り戻し、やがて全ては海へと還ってゆくのだろう。生活の中で人は生き、老い、患い、汚れ、やがて死ぬ。そうした人の一生を尻目に、自然は永遠に近く生き続ける。人の世は短く、惑星は人がいようがいまいが関係なしに、海を宿し森を宿し続ける。『かきがら』とはそういう物語である。『かきがら』は七篇の短篇から成る作品集である。そこに収められた短篇群は、それぞれ異なる時期の異なる媒体に発表されたが、テーマやモチーフは一貫している。二〇二〇年の東京ではCOVID-19が猛威をふるい、二〇三〇年代には富士山が噴火して峰は二つに分かれている。COVID-19が収束を見せたあとでも、人々の生活は、新たなウイルスの蔓延や、細菌兵器を用いたテロに脅かされている。そこでは、「わたし、目の前の風景、全然、信じてない。いつか何もかも崩壊するんじゃないかと思う」(「地面の下を深く流れる川」)といった言葉や、「この世のあらゆる物事が、命がおびやかされないという前提に立っていた。その前提は非常に曖昧で根拠がなく、なのにわたしたちは、漠然と信じていた」(「がらがら、かきがら」)といった言葉が、時代と事象を変えて、幾度も反復される。自由を失い、希望を失い、それでもなお、人間として生活を続けることの絶望が、そこでは繰り返し語られ続ける。「がらがら、かきがら」では「東京」と「貝殻」が重ねられ、人のいなくなった東京が「内臓のない東京」と表現され、「ぶつひと、ついにぶたにならず」では、「結局、人間であり続けることが、祖母に下された、重い判決だったのだと思う」と語られる。牡蠣の殻が落下する「がらがら」という音は、世界の崩壊の音として反響し続ける。死によってその音は鳴らされ、生き残った人々がその音を聞く。そうして「聖毛女」の語り手は、「生きている人々より、死者の数のほうがはるかに多い」のだ、と直観する。 しかし、そこにはわずかな希望がないわけでもない。絶望的な人の世と対比的に描かれるのは、宇宙であり、惑星であり、海であり、そして大海のうちにある貝の姿だ。「貝類全般の生々しい形状は、なぜか、人間の生殖器を連想させる」ものであり、貝たちは、「岩なんかに張り付いて、長いこと、ひとっところで生きていく」ものである。「がらがら、かきがら」の語り手はそれを聞き、「へえ、そんな自由もあるのね。自由って、自在に移動できる人の特権じゃないのね。ひとつのところにいても、自由になれるのね」と言う。ここでは、生命や、文明や、社会や、生活のありかたの、別様の可能性が示されている。 貝が生まれたのは今から約五億五千万年前のことだという。対して人が生まれたのは約七〇〇万年前のことだ。人類というのは畢竟、「カミサマのひとすくいの匙の中で守られ」た存在なのであり、「人が生涯、どんなにもがき、どれほど島から遠くへ行ったとしても、つまりはこの匙の池の中で、束の間の水遊びをしたにすぎない」のだろう(匙の島)。 政権が終わろうと、社会がなくなろうと、全てが失われるわけではない。崩壊した都市の地下深くには、人類が生まれるよりずっと以前から、時代を超えて、絶えず川が流れ続けている。「地面の下を深く流れる川」にある通り、わたしたちはこれからも、目には見えないその川を、心のなかに引き込んで生き続けるだけなのだ。(ひぐち・きょうすけ=SF作家・会社員)★こいけ・まさよ=詩人、小説家。著書に『永遠に来ないバス』(現代詩花椿賞)『もっとも官能的な部屋』(高見順賞)『ババ、バサラ、サラバ』(小野十三郎賞)『コルカタ』(萩原朔太郎賞)『タタド』(表題作で川端康成文学賞)『たまもの』(泉鏡花賞)『屋上への誘惑』など。一九五九年生。