林直樹 / 尾道市立大学准教授・経済学史・社会思想史週刊読書人2017年12月8日号ペストの記憶 英国十八世紀文学叢書著 者:ダニエル・デフォー出版社:研究社ISBN13:978-4-327-18053-9フィクションでありながら、ルポルタージュのようでもあり、道徳訓話や説教のようでもあり、社会風刺のようでもあり、真面目な政治経済論のようでもある。1722年、齢60をこえた著者の円熟の極みにおいて刊行された本書は、聖職者を目指したものの商人に転向、のちジャーナリストとして情報員として英語圏最多と評される膨大な時論を書き残し、ついに小説家という新境地を自ら開拓した、企業精神の尽きることない泉であった稀有な行動の人の思想を、ペスト大流行という極限状態に置かれた都市ロンドンの生存闘争を外からではなく内から見つめ続けた一市民の言動に仮託して、鋭く浮かび上がらせた作品である。虚構の語り手H・Fはイギリス国教徒と想定されているが、本書は、幼き日より一貫して国教会に属さず、そのため幾度となく謂われなき不寛容にさらされる危機に直面しながら、あえてこの社会の内側に踏みとどまり続けることを選んだ、一個の非国教徒デフォーによる真摯な思想的弁明書として読むべきだろうと、評者は考える。 参考までに、一場面だけを引いておこう。舞台はペスト禍の最中の教会である。「ひとりの女性がなにか嫌な臭いを嗅いだように思い、たちまち自分の列にペスト患者がいるものと想像し、となりの信徒にその考え、というか疑いをささやくと、立ち上がって列を離れた。この疑いは、となりからそのとなりへとささやかれ、すぐにその一列の信徒すべてに広まった。そしてこの列はもちろん、前後の二、三列に座っていた信徒もぞろぞろと席を立ち、教会を出てしまった。だが、いったい何が不安の原因だったのか、そして臭いを発したのは誰だったのか、知っている者はいなかった」(268頁)。群集心理、集合主観が「空気」を媒介として得体の知れない強制力を生み出す。これは今日的問題でもある。 本書の直接的モチーフについては、1720年の株式投機をめぐる社会的熱狂を疫病に擬えたのだとする、パット・ロジャーズらの興味深い説がある。確かにデフォーは、1721年秋に大陸からイギリスに渡って来たジョン・ロー、つまり南海バブルに先行したミシシッピ・バブルの火付け役を明らかに警戒して、同年末に時論を発表した。より実際的なところでは、本書が底本としたピッカリング版の編者マランが指摘するように、1720年以降マルセイユでペストの流行があり、これを不穏と見たウォルポール政権が早速、検疫法(1721年)を制定した事実が挙げられよう。したがって本書は強い時事性を帯びていた。だが結局、ペストは再来しなかった。1665年はイギリスにおける大流行の最後の年となった。現代から遡及して最も近いところにある災禍の「記憶」だからこそ、それは画期として繰り返し回顧されるにふさわしい価値を持つ。訳者の武田が、原題に忠実ならば「疫病年誌」と訳されるべき邦題をあえて(原著本文冒頭の表題に取材して)「ペストの記憶」としたのは卓見である(ただしサザランド『デフォー伝』織田稔・藤原浩一訳に先例がある)。 ペストの原因菌は19世紀末まで発見されず、微生物感染源説は本書で否定的に扱われている。微生物説は、デフォーの蔵書だったと思われる王立協会会員リチャード・ブラッドリの著書(1718年)に登場する。デフォーの娘ソフィアの夫ヘンリ・ベーカーは同書を読み、やがて顕微鏡学者となる。両紳士の邂逅は1724年のことである。(武田将明訳)(はやし・なおき=尾道市立大学准教授・経済学史・社会思想史)★ダニエル・デフォー(一六六〇~一七三一)=作家・ジャーナリスト。ロンドンに生まれる。著書に「ロビンソン・クルーソー」「海賊シングルトン」「モル・フランダーズ」など。