――死刑をめぐる深刻な状況を適確に表現――新倉修 / 青山学院大学名誉教授・刑事法週刊読書人2020年4月10日号(3335号)500冊の死刑 死刑廃止再入門著 者:前田朗出版社:インパクト出版会ISBN13:978-4-7554-0300-2死刑をめぐる論点は多く、しかも複雑に絡み合っている。これに丁寧に向き合い、声なき声にも耳を傾け、関係者の声を誠実に受け止め、国際動向にも目を凝らすという仕事を引き受ける人は、数少ない。 前田朗氏は、一九九六年から『年報・死刑廃止』という出版物に「死刑関係文献案内」を連載してきた。それを十一章に分類して、新たに編集しなおして、「死刑廃止再入門」と銘打った。そこには、四半世紀の歴史がある。ということは、死刑廃止という課題も、未解決のまま、日本社会にぶら下がっているわけである。この書物は、このかなり深刻な状況を適確に表現している。 解決は常に先延ばしにされてきた。たとえば、弁護士会で死刑廃止の決議を上げようとすると、まだ議論が尽きていないとか、弁護士会の任務に反するとか、被害者の意向に反するとか、異論が続出する。死刑に関連する文献だけでも500冊あると聞けば、それをすべて読破しなければ、態度決定はできぬとふんぞり返る声もなくはない。 しかし、この重い課題にどう向き合えばよいのかという不安もある。こうしてあらゆる方向から、死刑に関する関心にこたえるように間口を広げるのは、とても役に立つ。少なくとも飽きない効果はある。さらに著者の辛口のコメントにうなずきながらしばらく読むと、この周到な編集が、実は一つの焦点に結びついていることに気づく。絶壁のようにそびえたつ難問と言ってもよい。すなわち、「日本の刑事司法の歴史は『冤罪史』といって過言ではない。」(一七九頁)という寸言がすべてを語っている。 要するに、死刑と冤罪という深刻な対立関係が問題のかなめである。たとえて言えば、霧に包まれた奥深い森に通じる入口と言ってもよい。たしかに、残虐な殺人犯の悲惨な半生や犯罪被害者の惨状も、目を惹く。だが、誤判救済に冷淡な刑事司法を抱えたぼくらは、日本の統治制度の根幹に死刑制度があり、反省や改善もないまま、戦後七〇年を経ているという事実に直面せざるを得ない。こういうエピソードがある――免田栄さんが三四年余り死刑確定者の生活を強いられて再審無罪判決を受けた後、その死刑判決を言い渡した裁判官を訪ねたら、「ご苦労さん」とだけ言われた、と(一八七頁)。ここに司法の病根が露出している。 最終章の「死刑と文学」まで読むと、為政者の声が欠けていることが気になった。死刑執行の度に、「能面」のような法務大臣の記者会見があり、国民は、法務大臣が交替しても、マンタラのように繰り返される「慎重な決断」を聞かされる。そこで、佐藤舞氏が企画したように、情報を提供し、討議して死刑の存廃を判断するという試みが、重要になる。長塚洋監督のドキュメンタリー映画『望むものは死刑ですか 考え悩む世論』や坂上香監督の近作『プリズン・サークル』がこの本に加えて、必見。あなたの世界は確実に広がる。(にいくら・おさむ=青山学院大学名誉教授・刑事法) ★まえだ・あきら=東京造形大学教授・刑事人権論・戦争犯罪論。一九五五年生。