――全霊をこめて対象の「魂魄」に迫る多様な著作――南陀楼綾繁 / 編集者・ライター週刊読書人2020年6月12日号(3343号)雑文の巨人(マエストロ) 草森紳一著 者:柴橋伴夫出版社:未知谷ISBN13:978-4-89642-606-9本書は二〇〇八年に亡くなった評論家・草森紳一の主著十七点を、本論とコラムという構成で論じたものだ。 草森はあるテーマを発見すると、関連する書物を徹底的に蒐めて、自分の身のうちに取り込み、長大な文章を書いた。そのテーマは中国の詩人・李賀にはじまり、マンガ、画家アンリ・ルソー、円と穴、ナンセンス、江戸のデザイン、ナチスと中国のプロパガンダ、フランク・ロイド・ライトの建築、土方歳三、永代橋、書……と、すさまじくバラバラで統一性がないように見えるが、本人のなかでは有機的につながっている。 つかんだテーマは一生手放すことはなかった。著者によると、草森は卒論で取り上げる以前に、故郷の短歌誌『辛夷』に李賀のことを書いている。その後も李賀を追い続け、没後に『李賀 垂翅の客』が刊行された。悲憤を抱き、若くして死んだ李賀に草森は「同一化」しようとしたと著者は書く。 「この『李賀』では、草森は、自らの内心世界を覗くように、悲憤を必死に耐える姿に終始寄り添った。そして草森は李賀の『恨』を自分に降りかかってきたものとして受け止めながら、自分の皮膚を剥ぎ取りながらそれを全霊をこめて包みこんだ」 古今東西の書を論じた『北狐の足跡』について、副島種臣の書をめぐる論は「どこか心の糸が切れたよう」な不思議な終わりかただと指摘する。しかし草森はその後も、二十年近くかけて三つの雑誌で延々と副島種臣論を書き続け、未完のまま亡くなった。 「それに取り憑かれたら、その解明に全てを投入する。その姿は涯なき苦役に追いまくられる囚人のようでもある」 だから、草森には未完の連載がじつに多い。皮肉なことに、その死によって、書き続ける人がいなくなったせいで、いやおうなくテキストが定着し、本にまとめることができた。その数、なんと十四点。本書でも六点が没後刊行(うち一点は復刊)である。こんな書き手は他にいない。 著者は、草森の著作から彼の内面をとらえようとする。ソローについて草森は「精神的現実に生きている」と書いたが、草森自身もそう生きたのではないかと指摘する。たしかに、草森は生活のすべてを書物と執筆につぎ込んだ。自宅マンションで文字通り書物に埋もれて見つかったという最期は出来すぎなようだが、やはりこの人にふさわしい。 本書には、デザインや装画、写真により、草森と伴走した横尾忠則、井上洋介、大倉舜二らについての記述もある。美よりも醜の側に立った画家・井上洋介と、「佯狂の精神」を持つ草森とは「一卵性双生児」なのだという著者の指摘は興味深い。このように著者と画家・デザイナーの共闘が反映されているために、草森紳一の著書の造本はどれも美しく、長く持っておきたくなる。 草森は徹底的に資料を読み込んだが、アカデミックな書きかたを嫌い、連想や飛躍を存分に働かせて対象を描いた。「他の人なら人物の肖像画を描く時、写実を重んじ、まず似ることを大事にする。草森はちがう。防備していない素の相貌や、その人のいちばん醜悪な部分を見つけ出し魂魄を掴もうとする」と著者は言う。「雑文家」と呼ばれることがあったが、本人はむしろそれを本望だと喜んでいたのではないか。 本書で取り上げた以外にも、イラストレーション、子供、写真、散歩、食客など、草森が書き続けたテーマは多い。今後も「新刊」が出るかもしれないし、彼が残した蔵書にもさまざまな手がかりがありそうだ。没後十二年、草森紳一はどこかで、いまも書き続けている。(なんだろう・あやしげ=編集者・ライター)★しばはし・ともお=詩人・評論家。北海道美術ペンクラブ同人、荒井記念美術館理事、美術批評誌「美術ペン」編集人などを務める。著書に詩集『冬の透視図』、評伝『太陽を掴んだ男 岡本太郎』など。一九四七年生。