小山内園子 / 韓日翻訳者週刊読書人2022年2月11日号 私は男でフェミニストです著 者:チェ・スンボム出版社:世界思想社ISBN13:978-4-7907-1764-5 「これからは〈男女平等〉じゃなく、〈ジェンダー平等〉の時代でしょ?つまり、もう女性差別とか女性の生きづらさとかじゃなくて、次に進んだってことなんですよ、次に。これからは、男性の生きづらさの問題にも目を向けるべきなんです。それが社会の流れだと、僕は理解してるんですね」。 最近、某男性地方議員から聞かされた言葉だ。大したもんだと思った。もちろんよくない意味で。どこで何をどう学べば、「ジェンダー」という単語を「女性の問題はもう解決済み、ネクストステージは男性の生きづらさ!」と解釈できるようになるのか。いつのまに女性の問題は解決したのか。あくまでも女性と男性の間に線を引き(その二項対立もすごいが)、川を想定し、対岸の火事&鎮火済みというスタンスを崩さないつもりか。 女性が女性であるだけでさらされる理不尽さについて、自分は当事者ではない、と認識する男性は多い。「だからわかりません」と開き直るケースも少なくない。 確かに、同じ事態に遭遇する確率が低ければ、十のうち一を聞いただけでも大体想像がつくという当事者の直観が働かないのは、事実なのだろう。だが、誰かを苦しめる社会に自分も住んでいる、という構成メンバーとしての感覚はどうなのだ? 自分が直接的な当事者でなければ、置き去りでいいのか? 見て見ぬふりでいいのか? 本書の著者、男子高校の教員のチェ・スンボム先生はそれでいいとは思えなかった。仕事と家事に追われ自分の人生を犠牲にしていた母親と、給料袋さえ運んできてくれれば何をしようがよい夫、という時代の空気を深々と吸い、平気で母親に灰皿を投げつける父親。他の面ではきわめてリベラルなのに、女性の人権の話となると弾圧に回る人々。一方で自分自身をも振り返ってしまう。「三十年以上、韓国人男性として暮らしながら、空気のように吸い込んできた女性嫌悪は根深く、そうそう消えたりはしない」。 だからこそ、チェ先生は自分の身に引き寄せて考える。フェミニズムは男性の人生も自由にしてくれるのではないか。泣く男、力の弱い男を否定している張本人は家父長制で、人形で遊ぶ男の子もネイリストを夢見る男子生徒も受け入れられる社会にするツールこそ、フェミニズムなのだろうと。より自由が保障される社会であってほしいから学ぶ、その当事者感覚。今よりよい社会の希求。その真っ当さがうらやましい。 チェ先生は国語の先生だ。だから教科書に載っているいわゆる名作の小説を題材に、この性関係には同意があったか、性暴力の基準は何かと男子高校生に問いかける。次世代とともにフェミニズムを実践する動きだろう。日本にもこういう授業をする学校や先生が増えてくれたらと夢想する。授業までいかずとも、とりあえず本書を読んでほしい。巻末のブックガイドも、チェ先生のコメントが光る。 冒頭の議員先生は、ずいぶんと「ジェンダー」問題に熱心だった。どんどん政策提言したいと意気込んでいた。きっと勉強したくてたまらないのだろう。せっかくなのでチェ先生のこの言葉をおくりたい。「すぐ目の前にいる人の立場に共感するのではなく、見知らぬ男に感情移入できるのは、自分のなかの男性性に執着しているという証拠である。それをまず手放さなければならない。そうしてはじめて客観的にみることができる」。(金みんじょん訳)(おさない・そのこ=韓日翻訳者)★チェ・スンボム=韓国北東部・江陵市の明倫高等学校教師。男子校で国語を教えている。共著に『フェミニスト先生が必要』『ジェンダー感受性を育てる教育』など。一九八四年生。