――多角的に子どもに向き合ってきた著者の珠玉の言葉――茂木健一郎 / 脳科学者週刊読書人2021年12月10日号子ども、本、祈り著 者:斎藤惇夫出版社:教文館ISBN13:978-4-7642-6155-6 子どもってすごい。そして、子どもたちに向き合う仕事は、それが本の作者になることでも、編集をすることでも、あるいは幼児教育に関わることでも、すべてかけがえがなく素晴らしい。そんな厳粛な気持ちにさせてくれる一冊が、斎藤惇夫さんの『子ども、本、祈り』である。 斎藤惇夫さんは、子どもの本の作者(『グリックの冒険』、『ガンバとカワウソの冒険』など)、編集者(福音館書店)、そして子どもの教育(幼稚園の園長先生)と、右に挙げた三つのお仕事をすべてされてきている。多角的に子どもに向き合ってきた斎藤さんの心から紡ぎ出される珠玉の言葉が読者を感化する。 本書の最初に出てくるのは、幼稚園の園長先生として子どもたちに接する中で出会う驚き、感動、それによって促される自己省察の数々である。ともすれば固定化された子ども像にとらわれがちな現代において、斎藤さんのお書きになることは読者をハッと立ち止まらせる。「たたかい」の好きなKくんとのふれあい。突然「園長は大きくなったらなんになるの?」と子どもに聞かれ、「園長!」と答えたら、「園長でなくって、ほんとうのお仕事!」とたずねる年少組の子。確かに子どもたちから見れば、園長はいつも遊んでいるだけに見えるらしい(それこそが実は大切な教育の実践なのだけれども)。 子どもたちとのやりとりを受けて、中原中也の詩「帰郷」の一節、「あゝおまえはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私に云う」を思い出し、チェーホフの『桜の園』の「一生が過ぎてしまった。まるで生きた覚えがないくらいだ……」について思索する斎藤さんの筆致には、文学者としての面目躍如たるものがある。 斎藤惇夫さんとは、ここ何年か、小樽で行われている絵本・児童文学の文化セミナーでご一緒する機会に恵まれてきた。その際に触れる斎藤さんの言葉からは、子どもの文学に対する真摯な思い、子どもたちの素晴らしさに対する驚嘆、そして子どもたちが現在置かれている状況についての危機感が伝わってくる。 世の中の一部には、子ども向けのものを大人向けのものに比べて軽く見たり、簡単に考えたりする傾向がある。しかし、斎藤さんは、常々、子どもたち向けの本こそが、真剣につくられた良質のものでなければいけないと強調される。 福音館書店の編集者として、ある作家さんに依頼したところ、作品ができるまでに一〇年かかったという。その作家さんは、「子どもが読むものだからね」とおっしゃったとのこと。そんな思いでつくられた子どもの本は、人類全体にとってどんなに素晴らしい宝になることだろう。 斎藤さんによる愛情あふれる名著の紹介には、思わず手に取りたくなる語り口の魅力がある。ルーマー・ゴッデンの『ねずみ女房』、モーリス・ドリュオンの『みどりのゆび』、そしてリリアン・H・スミスの『児童文学論』は、本書を通して必ず読もうと思った本である。本をきっかけに本に出会うことは、読書人にとって最高の幸福であろう。 優れた子どもの本は、人間の心の深層、子どもの心への絶好の入門書であると斎藤さんは書く。一方で子どもの本の世界は危機に瀕しているとも。本書を通して子どもの本の深く豊穣な世界に触れ、魂のリレーを続けていきたい。(もぎ・けんいちろう=脳科学者)★さいとう・あつお=児童文学作家。著書に『グリックの冒険』『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』『哲夫の春休み』など。一九四〇年生。