――長年の研究成果をまとめた一冊――平野幸彦 / 新潟大学人文学部准教授・アメリカ文学週刊読書人2020年5月15日号(3339号)エドガー・アラン・ポー 極限の体験、リアルとの出会い著 者:西山けい子出版社:新曜社ISBN13:978-4-7885-1669-4管見のかぎり、前世紀末から今世紀初頭にかけては国内外ともに、いささか低調な感が無きにしも非ずであったポー研究だが、二〇〇九年の生誕二百周年前後を機に、注目すべき文献が陸続と発表されるようになった。国内に限ってみても、野口啓子『後ろから読むエドガー・アラン・ポー』(彩流社)、池末陽子・辻和彦『悪魔とハープ』(音羽書房鶴見書店)、八木敏雄・巽孝之(編)『エドガー・アラン・ポーの世紀』(研究社)、村山淳彦『エドガー・アラン・ポーの復讐』(未來社)、西山智則『エドガー・アラン・ポーとテロリズム』(彩流社)、等々。そして今ここに新たな一冊が加わった。 著者は関西学院大学文学部教授。現職に就く前に発表したものも含め、三十年以上にわたる氏のポー研究の成果がまとめられている。全体は五部から構成されており、それぞれの主題とおもに論じられているポーの作品を列挙すると、(一)分身のテーマ(「ウィリアム・ウィルソン」、「群集の人」)、(二)自己の枠を超えて境界の外へと人を誘う力(「黒猫」、「告げ口心臓」)、(三)自己を外界と隔てる壁が消失し、自己が外界と相互浸透をするという経験(「アルンハイムの地所」、「ベレニス」、「息の紛失」、「ある苦境」、「使いきった男」)、(四)物理的な世界の境界や、宇宙の有限性/無限性(『ユリイカ』、「ハンス・プファールの無類の冒険」)、(五)映画において、ポーの描く無気味や恐怖が、文化表象としてどのような影響力をもち、どのように反復・増殖されていくか。また、境界を超えて拡がる病である疫病の表象が、作品にどのように表わされているのか(「赤死病の仮面」)となる。 以上五部十二章から成る本書の核と言うべきは、やはり前半の〈自己〉と〈他者〉あるいは〈外界〉、そしてそれらの間に存在する〈境界〉をめぐる議論であろう。著者はポーのテクストの精緻な読みを展開する一方、ルネ・ジラールの〈欲望の三角形〉モデルやジャック・ラカンの〈象徴界〉〈想像界〉〈現実界〉の三概念などの理論的枠組みを援用しつつ、前記の主題の解明に迫ってゆく。そしてこれらポーのトレードマークと言うべき〈恐怖もの〉や〈探偵もの〉の作品群が、一見それらとは無縁ないしは関係が希薄に思われる〈滑稽もの〉や宇宙論へと繫げられていく手捌きは実に見事で説得力がある。 先にも触れたように、本書は書き下ろしではない。著者の言葉を引用すると、「長年にわたって書き継いだ論文で構成される本書は、最初から全体の構想があったわけではない。また、必ずしも一貫した理論枠組みを目指したものでもなかった。〔中略〕しかし、まとめるにあたって全体をながめてみると、自分でもそれまで明確には意識していなかった、ポーという作家にたいしてわたしのもつ関心の傾向がはっきりしてきた。」なるほど、本書が多岐にわたる先行研究に言及しながらも読者の脳裏に鮮明なポー像を残すのは、あくまでもポーのテクストの精読から得られた著者独自の洞察が先にあって、それを公の議論の場に載せるべく先人の理論を応用したのであり、決してその逆ではないからに違いない。 ポー研究者はもちろん、広く文学を愛する一般読者にもお薦めできる好著と言えよう。(ひらの・ゆきひこ=新潟大学人文学部准教授・アメリカ文学) ★にしやま・けいこ=関西学院大学文学部教授・アメリカ文学。編著に『アメリカ文学における幸福の追求とその行方』『記憶とリアルのゆくえ文化社会学の試み』『災害の物語学』など。一九五九年生。