――文化史、社会史、科学史、宗教学、音楽学を駆使して様々な謎を解明――小宮正安 / 横浜国立大学教授・ドイツ文学・ヨーロッパ文化史週刊読書人2021年5月7日号モーツァルト 愛と死Ⅰ マリアに抱かれし人びと著 者:塩山千仭出版社:春秋社ISBN13:978-4-393-93218-6「そこで今は、ぼくの意志に反して、といってもぼくの合意のもとに。子供を乳母に預けてあります!…妻の乳の出がいかにあろうとも、彼女はけっして子供を母乳で育てるべきではない。とつねづねぼくは固く決心していました!…ただし、自分の子供はやはり他人の乳を飲むべきではなくて!…お姉さんやぼくと同じように、水で育てたいと思っています。」 一七八三年に、モーツァルトがしたためた手紙の一節である。この前の年に結婚したコンスタンツェとの間に第一子が生まれ、そのことを故郷の父親レオポルトに宛てて報告した。 いずれにしても、波乱万丈なモーツァルトの生涯が記されている書簡の中にあっては、かなりほのぼのとした部類に入りそうで、気が付かなければつい読み飛ばしてしまう一節だろう。だがここに、著者は大きな引っ掛かりを感じたにちがいない。つまり、子供を水で育てるとはどういうことか。しかもモーツァルト自身、姉のマリア・アンナともどもそのようにして大きくなったというのである。(もちろん「水」といっても、それが粥のみならず動物の乳であろうという推測も、著者は確実におこなっている。) ここに始まる大きな疑問が、二巻の大著を成す発端となっているといってよい。つまり、モーツァルト姉弟が「水」で育てられざるをえなかった原因が、実のところモーツァルト家に伝わる病に起因しているのではないか、というさらなる推論が生まれる。ところが、そこで再び問題が生じてしまうのだ。つまりこのテーマに関するモーツァルトの手紙自体の中で、現存しているものがきわめて少ないという点において。 そこで著者は、大胆な発想の転換をおこなう。「人間モーツァルトを描き出すには、モーツァルト本人が書いた(もしくはモーツァルト本人に対し書かれた)書簡の分析が必須であるが、本書が眼目としたモーツァルト一家の疫病に関する書簡のほぼ全てが散佚している。しかし、その散佚の経緯のなかにレオポルト、コンスタンツェの、ある意思が読み取れるのであり、それらに共通する特徴を『事実』の『読み』として敢えて解釈を試みたのが、本書の特徴である。」 つまり、資料が存在しなかったから事実が存在しなかった、というのではない。むしろ、そうであるからこそ、おのずと明らかになる事実がある、というのが著者の立ち位置である。では、その事実とは具体的にはどのようなものなのか。本書の開始早々、次のような衝撃的な一文が飛び出す。「モーツァルト一家は、ある病気(梅毒)に代々苦しめられてきた(…)。レオポルトは、子供たちを病気から守るために、医学の知識を取得し、育児法を入念に探求してきた。(…)しかし、レオポルトの努力の甲斐もなく、レオポルト夫妻が授かった人の子供(三男四女)のうち、生存できたのはナンネルとヴォルフガングの二人だけであった。(…)モーツァルトは、この病気と闘っている父親の姿を見ながら育ち、病気との戦い方を父からから学びとっていた。モーツァルトは、コンスタンツェと結婚し、彼女はまもなく妊娠した。このことは喜ばしいことであったが、同時に、父レオポルトが生涯耐えてきた苦しみを追体験する人生の始まりでもあることを認識させるものであった。」 このストーリーを基に、モーツァルトに関する様々な謎を解いて行くのが、本書である。またこうした見方に基づいて考えてみると、たしかに目から鱗が落ちるように分かってくることがある。とりわけそのハイライトを成すのが、レポオルトが幼いモーツァルト姉弟を連れて、三年にもわたってイギリスにまで至る大旅行を繰り広げた理由。そこには、もちろん従来言われてきているように、我が子の驚異的な才能をヨーロッパ中に広めるという狙いもあったのだが、同時に別の目的も存在した。つまり、モーツァルト一家を苦しめてきた宿痾の梅毒の治療、またそのための様々な知識や手段を獲得するために。 ただし、もしもこの話題だけに終わるのであれば、これまでも世に出ていた大作曲家と病をめぐる書籍、あるいはモーツァルトをスキャンダラスに描く書籍と、根本的にはあまり変わらない。だが本書の狙いは、そうした宿痾を密かに抱えたモーツァルトが、じっさいにどのような思いを秘めながら曲を残していったのかという、創作活動の秘密に迫る作業にある。このことを端的に物語るのが、冒頭にも触れた長子をひとり残して、故郷のザルツブルクへコンスタンツェとともに里帰りを果たしたモーツァルトが初演した大作に関する分析だ。 その大作こそ、『ミサ曲ハ短調』。実のところこれは、初演までに全曲が完成されず、その後も未完のままに終わってしまった作品なのだが、その謎に著者は様々なアプローチで迫る。たとえば、梅毒感染を軽減するためにモーツァルト姉弟が育てられた「水」。これは、神のひとり子であるイエスが人間の罪を救うため十字架にかけられた時に流した血と水であるというキリスト教的神学、さらにはカトリック的なマリア信仰へと結びつけられる。扱う対象がミサ曲であるため、きわめて説得力のある見解といえよう。しかもモーツァルトがこの作品のどこに自らの切実な救済への願いを込めたのかという詳細な楽曲分析も、実際の譜面も交えてなされてゆく。 つまり本書は、文化史、社会史、科学史、宗教学、音楽学といった複合的な分野を駆使して、モーツァルトの人生と作品に新たな光を当てようという、野心作に他ならない。また、だからこそ、モーツァルト一家の梅毒説というショッキングな出来事を切り口としながらも、それが単なるセンセーショナリズムを越えて、きわめて大きな説得力を持ってゆく。とりわけ感染症の収束がいっこうに見えない中、本書で展開される病を巡る様々な視点は、現在を生きる私達にとっても多角的な示唆を与えてくれるだろう。大著を読み終えて、あらためてモーツァルトの曲を聴いてみたくなった…。(こみや・まさやす=横浜国立大学教授・ドイツ文学・ヨーロッパ文化史)★しおやま・ちひろ=音楽評論家・弁護士。国際社会芸術研究会理事長。モーツァルテウム・オーケストラ・ザルツブルク友の会名誉会員。著書に『魔笛 文明史の劇場』『ワーグナー紀行』など。