デジタル化とインターネット、政治と芸術の問題も考察 石田圭子 / 神戸大学准教授・美学・芸術思想・表象文化論週刊読書人2022年1月7日号 流れの中で インターネット時代のアート著 者:ボリス・グロイス出版社:人文書院ISBN13:978-4-409-10045-5 本書はボリス・グロイスが二〇一六年に著したIn the Flowの邦訳である。グロイスはいま美術の世界で最も名を知られる批評家のひとりだ。アート・ドキュメンテーションなど近年のアートの本質的変化をいち早く察知し言語化する彼の批評は、これまでも美術界に刺激を与え、多くの注目を集めてきた。本書の刊行によって、そうしたグロイスの最近の仕事を日本語でも読めるようになった。それをとても嬉しく思う。 実は大学の授業で本書の原著を読んだばかりである。学生に何かグロイスの本を紹介したいと思い、選んだのがこの本であった。選んだ理由は、この本の関心が単にアートの狭い世界に閉じておらず、インターネットやグーグル、ウィキリークスといった今の社会のアクチュアルな話題に接続されていて、幅広い関心に応えられるだろうと考えたからである。本書は一二章から成り、そこには政治と芸術の問題をはじめ、グロイスがこれまで関心を寄せてきた多くのテーマが含まれる。 だが、本書を貫く主要なテーマは、本書の副題が示しているように、「デジタル化とインターネットの時代にアートはどのように変化したか」という問いである。新しい技術の時代は単にデジタル・メディアやテクノロジーを用いた新しいアートを生んだだけではない。インターネットによって美術館のコレクションはもちろん、あらゆるイベントやパフォーマンスはデータとして記録され、世界のあらゆる場所に流れていくことになった。また、アーティストにとってそれは強力なツールとなり、彼らは自ら発信し、宣伝し、自前のアーカイヴを持つようになった。そうした時代のアートについて考えること、これはベンヤミンが「複製技術時代における芸術作品」において思考した内容の、そのさらに先の展開を探る試みだともいえる。 グロイスの批評の大きな魅力は、そうした大きなパースペクティヴからアートの存在自体を考察し、捉え直そうとするところにある。現代の美術批評家のなかで、グロイスほど大胆かつラディカルにそれを試みている者がいるだろうか。その結果グロイスが主張する内容は、しばしば私たちの常識を裏切り、ときにそれを反転させるものである。本書でもそうした「グロイスらしさ」は存分に発揮されている。 例えば、インターネットはヴァーチャルとリアルの境目を失わせるどころか、非フィクション的なものとして機能するのだとグロイスは言う。美術館や劇場といった、芸術をフィクション化する制度にアヴァンギャルディストたちは挑み、それを破壊しようと試みたが、グロイスによれば、インターネットという媒体は芸術を非フィクションしようとするそうした試みの最終地点である。インターネットにおいて必須であるフレーミングという操作は必然的に芸術制作を現実のプロセスとして知覚させるからだ。さらにインターネットにおける匿名のアカウントの増殖は、あらゆるアイデンティティをシニフィアンの戯れのなかに融解させるというポストモダンのユートピアの継続ではなく、その潜在的透明性のゆえにむしろ墓場なのだと言う。つまり、グロイスは、この本のタイトルとは逆に、インターネットとは無限の情報の「流れ」なのではなく、むしろ「流れ」を止め、遮るものであると言いたいのだ。 ときにアクロバティックとも思えるようなそうしたグロイスの議論は、私たちの常識や固定観念を軽々と超えていく。緻密な議論を嘲笑うかのようなグロイスの議論は、ときとして反発を呼び起こすこともあるだろう。しかし、グロイスのテキストの面白さは、そうした軽妙さとある種の強引さから生まれるともいえる。彼は豊富な美術史と思想の引き出しから自在に事例を取り出しては現代の事象と縦横無尽に結びつけ、思いもしなかった歴史的系譜を作り出す。実はそれは、現代のキュレーションや美術館の重要な営みとしてグロイスが指摘することなのだが、それを彼は自らの美術批評の中でも鮮やかにやってのける。そうしてグロイスは現代の社会におけるアートの布置に揺さぶりをかけ、思いがけないアートの意味と可能性を私たちに示すのだ。 ところで、いま美術の世界では「NFT(非代替性トークン)」が注目されている。デジタル・データの唯一性を証明するというこの技術は、ベンヤミン以降の複製芸術論をひっくり返しそうな気配である。グロイスはこれについてどのようなことを述べるだろうか?それも今後楽しみだ。(河村彩訳)(いしだ・けいこ=神戸大学准教授・美学・芸術思想・表象文化論)★ボリス・グロイス=美術批評家。ニューヨーク大学特別教授。レニングラード大学に学んだ後、批評活動を開始。著書に『全体芸術様式スターリン』『アート・パワー』など。一九四七年生。