――日・英芸術のかかわり、現代美術鑑賞の手引きとしても――廣木一人 / 日本文学研究者週刊読書人2021年6月18日号イギリスの美、日本の美著 者:河村錠一郎出版社:東信堂ISBN13:978-4-7989-1691-0「バーン=ジョーンズの死を早めたのは、心身を消耗させた大作(略)の制作というよりは、ロセッティの死、そしてモリスの死であっただろう。」(第一〇章)として、詩人W・S・ブラントの詩を引いて閉じられる本書は、イギリス世紀末美術・文学関係の業績を多く持つ著者の世紀末美術、その日本との関係を軸とした論考集である。 初出一覧によれば、ほとんどが日本で開催された展覧会の図録に執筆されたもので、十章に分けられ、その間に、諸誌に書かれた短文が「随想」として六編挟まれている。 十九世紀の西洋美術は、ラファエル追従であったアカデミズムへの反発という形で展開した。それは、著者が何度か引用する言葉で言えば、「自然に忠実に」というジョン・ラスキンの理念の具現化である。 しかし、世紀末の絵画を見る時、このラスキンの言葉は不思議な感じに囚われる。写実性ということでは絵葉書の写真のようにと思うのが一般で、ロセッティや、またラスキンが高く評価したターナーなどはそれとは違う。この点について著者は、ラスキンの『現代画家論』を踏まえながら、「形態、色彩、空間性の真実」(第三章)の追求として理解を促している。この「長い美術史の歴史」での「革新」(第三章)はフランス印象派にも該当するのであるが、ラスキンは印象派には関心を持たなかったという。 日本における人気は圧倒的に印象派にあったかと思う。ところが、現在はどうであろうか。第九章では清原啓子が取り上げられているが、その世紀末に通ずる画家の考察、注目度によって、著者は現代日本の嗜好(志向)のあり方を示唆しているのである。 実はこのような世紀末美術に対する傾倒は昨今のことではなかったことも指摘されている。竹久夢二以下多くの挿絵画家がビアズリーの影響を受け、それは「今日の日本アニメ」にも続いているとし(第二章)、さらには早く漱石にも顕著に表れているという。 文学にも造詣の深い著者の独自性はこのことの詳細な追求にも見られる。随所に感じられることではあるが、漱石のラファエル前派を中心としたイギリス世紀末美術との深い関係を論究した第一章は、著者の研究者としての立場を如実に示している箇所である。 たとえば、漱石が実際にどのような絵画を見得たかを当時の美術館の成立の詳細な検証とともに示し、漱石文学の異質とも言える『漾虚集』所収作品のみならず、『草枕』『野分』『三四郎』などの背景を語っている点など知的興味を刺激させられるものである。 このような日本との関係で言えば、逆に、西洋世紀末美術が日本美術の影響を多分に受けていることへの言及も重要である。ジャポニズムについては多く知られるところで、ビアズリーに関しても既に言及されていたことであるが、それは「すべて一般的な指摘にすぎない」(第六章)として、ここでも「ビアズリーにおけるジャポニズム」の受容を綿密な調査によって明らかにしている。特に北斎漫画からの影響の指摘は興味深い。 本書に込められたメッセージは多様で、美術史上の版画(挿絵)の価値、冒頭で触れたモリスのような出版者の重要性、また、電子ブックにはない本の魅力を語った第八章などには言及しきれなかったが、本書によって、改めてイギリス世紀末美術の魅力に気づかされたことは特筆に値する。図版掲載も豊富で、現代美術の見方への示唆も含め、その鑑賞の手引きとしても最適な書であろう。(ひろき・かずひと=日本文学研究者)★かわむら・じょういちろう=一橋大学大学院名誉教授・イギリス世紀末美術・文学。著書に『ビアズリーと世紀末』『ワーグナーと世紀末の画家たち』『世紀末美術の楽しみ方』など。イギリス世紀末美術を主とする美術展監修多数。一九三六生。