――金ぴか時代の経済発展の裏側を考察――広瀬公巳 / ジャーナリスト週刊読書人2020年11月6日号ビリオネア・インド 大富豪が支配する社会の光と影著 者:ジェイムズ・クラブツリー出版社:白水社ISBN13:978-4-560-09782-3 インドを知る手がかりになるのはカレー、ヨガ、紅茶。ビジネスに関心のある人にとっては、IT人材、人口ボーナスなどのキーワードがある。今のインドの素顔を知る切り口は「ビリオネア」なのかもしれない。 原題は『ビリオネア・ラージ インドの「新・金ぴか時代」をめぐる旅』。ビリオネアは億万長者、ラージは王国や統治ということで、インドは億万長者が支配する時代に入ったのだという。イギリスの植民地支配を受けた時代は「ブリティッシュ・ラージ」と呼ばれてきた。そしてそれに続く半世紀は、国の法令や規制に縛られ社会や経済が停滞した時代で「ライセンス・ラージ」とされる。だが一九九一年の経済自由化以降、それまでのインドにない新しいシステムが現れる。それが「ビリオネア・ラージ」。 冒頭でビリオネアの代名詞として描かれるのが、インドの財閥リライアンス・インダストリーズの会長ムケーシュ・アンバニだ。アンバニは、タタやビルラなどの長い歴史を持つ財閥とは異なる方法で、石油化学からエネルギー、通信へと事業を拡大していく。アンバニは時の人。新型コロナウイルスの感染拡大で急速に広まるテレワーク需要に機敏に対応し、フェイスブックなどアメリカの企業から巨額の資金を集めている注目の人物だ。表紙の写真に用いられたアンバニの私邸は、スラム街を見下ろす高層ビルの豪邸で何層にも札束を積み上げたような形の摩天楼が格差の町ムンバイの夜の闇に金ぴかに光っている。 各章で詳述されるのは、ビリオネアの栄華と好対照を成すインド社会の闇の部分だ。政官財の癒着、縁故主義、金権政治など、インドの富豪を生み出してきた背景がそれぞれのキーパーソンを軸に描かれる。インド地方政治家の実情を北部のウッタル・プラデーシュ州と南部のタミル・ナドゥ州を例に紹介し、スポーツ界を蝕む汚職体質やマスコミ現場の報道倫理の問題も取材している。巨万の富を獲得したインドのビリオネアの等身大の姿を追跡していくと、格差や腐敗という経済成長の負の遺産がじんわりと浮き彫りになる。はたしてこれからのインドは大富豪が支配する社会になるのか。視線はナレンドラ・モディ首相の周辺にも向けられていく。 著者はムンバイに駐在していたイギリスの記者で、外国人ジャーナリストらしくインドの経済発展を外からのやや引いた視線で考察している。ロックフェラー、カーネギー、モーガンなどの巨大資本が生まれたアメリカの「金ぴか時代」と今のインドとを比較。アメリカでは格差に歯止めをかけ中産階級が主役となる「革新主義時代」に移行したが、インドが一世紀前のアメリカと同じ道をたどることになるのか、それともロシアのように新興財閥が発言権を強めていくのか。 マーク・トウェインは資本家が台頭した時代のアメリカを『金メッキ時代』(一八七三年)に描いた。今のインドが、本物の金ぴかの時代なのかただの金メッキの時代なのか、著者は断言を避け、大富豪とその周辺の現場で見聞きした事実と証言を積み重ねて記述し、多角的な考察を織り交ぜ現代インド像を構築していく。取材メモのように連綿と続く現場情報はインドをあまり知らないという人にとっては詳しすぎると感じさせるかもしれない。 二〇〇八年に公開された映画に『スラムドッグ$ミリオネア』というのがあった。テレビの人気クイズ番組で正解を続け貧困から抜けだそうとするスラムの少年が主人公で、当時のインド人が夢見る対象の大金持ちというのは「ミリオネア」だった。本書の出版はそのわずか十年後だが、ミリオネアの千倍の大金持ちのビリオネアが現実のインドに次々と生まれている。インドは貧困から抜け出す国ではなく、世界の富を集める憧れの国に変化したということなのか。どんなビリオネアがいるのか、探しながら読むのも面白い。(笠井亮平訳)(ひろせ・ひろみ=ジャーナリスト)★ジェイムズ・クラブツリー=ジャーナリスト。シンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院実務准教授。二〇一一~一六年、『フィナンシャル・タイムズ』ムンバイ支局長としてインドに駐在。