――「自宅でくつろいでいるル=グウィン」の内面を見せる一書――眞鍋惠子 / 翻訳者・ライター週刊読書人2020年4月10日号(3335号)暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて著 者:アーシュラ・K・ル=グウィン出版社:河出書房新社ISBN13:978-4-309-20790-2『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』というしゃれた題名の本書は、二〇一八年に、SFやファンタジー作品に贈られるヒューゴー賞関連書籍部門を受賞したエッセイ集だ。著者はアメリカの作家、アーシュラ・K・ル=グウィン。同年に八十八歳で生涯を閉じている。日本ではスタジオジブリのアニメ映画「ゲド戦記」の作者として有名だが、その童話作品『空飛び猫』を村上春樹が翻訳したことでも知られる。ヒューゴー賞、ネビュラ賞など数多くの賞を受賞しSF界の女王と呼ばれている。 ル=グウィンの作品は、フェミニストSFと称する一九七〇年代前後のジェンダーやセクシュアリティをテーマにした作品群に分類される。彼女はフェミニズム運動の担い手として、書くことでジェンダーによる壁に挑んできた。また二〇〇九年には、グーグルブックスの著作権侵害に対する集団訴訟を取り下げた全米作家協会を脱退。文学作品のコモディティ化に対する批判を貫いた。「生き方においても、作品においても、常に善の味方であり、鋭い社会批評家で」(序文より)あった。 このような来歴からそのエッセイも硬派なのかと思いきや、本書がブログからの抜粋であることもあって、収められた作品は身近な日常から立ち上がり、多岐にわたる事柄や考察の間を自由に飛び回り、「自宅でくつろいでいるル=グウィン」の内面を見せてくれる。 本の題名は、冒頭の一篇に登場する著者に送られてきたハーバード大学からのアンケートの問い「余暇には何をしますか?」に対する答えである。「私はいつも、生きるのに忙しい。……私は来週八十一になる。余っている時間などないのだ」。本書では、その「暇なんかない」ル=グウィンの考える「大切なこと」が次々と展開され、彼女の自由闊達な思考の過程がつまびらかにされ、読者に考えるヒントを与えてくれる。 テーマのひとつは老年を生きることだ。「弱虫には、年寄りは務まらない」というポスターが気に障って、「年を取ったら、だれだって年寄りをやらなくてはならない。……老体は身体の鍛え方や勇気の問題ではなく、たまたま長生きしたかどうかという運の問題なのだ」と言い返す。アメリカでは寿命が延びていて、それは良いことだとされる。「どのくらい良いことなのだろう? どういう点で良いのだろう?……じっくり考えてみることをお勧めしたい」。読者はル=グウィンから身近な、でも知的なきっかけをもらって、彼女の頭が柔軟に回転するように自分も考えを巡らせてみたくなる。 当然、ル=グウィンにとっての「大切なこと」は、文学やことばにまつわるテーマが多くなる。例えば罵り言葉――ファックやシットについて。「現在……逃れていられる場所は、一九九〇年以前の映画や一九七〇年以前の本の中、そして、人の住まない荒野だけだろう」。あるいは、信じる、受け入れる、考えるという言葉を使い分けることについて。「進化を、変化を信じますかと訊くのは、火曜日を信じるかとか、アーティチョークを信じるかと訊くのと同じくらい無意味だ」 嫉妬や怒り、オペラ、軍服のデザイン、ガラガラヘビ、フードバンク、大統領の演説、ストーリーとプロット、飼い猫について……。バラエティに富んだ考察の森で戯れたあとには、半熟卵を食べたくなるかもしれない。「卵抜きで」の章で約四ページにわたり、ル=グウィンこだわりの作り方と食べ方が子細に説明されているのだから、試してみない手はないだろう。(谷垣暁美訳)(まなべ・けいこ=翻訳者・ライター) ★アーシュラ・K・ル=グウィン(一九二九~二〇一八)=作家。ネビュラ賞、ヒューゴー賞など、主要なSF賞をたびたび受賞。著書に「ゲド戦記」シリーズ、『闇の左手』『所有せざる人々』『ラウィーニア』など。