――その異色の文学の根源を解き明かす――川本直 / 文芸評論家週刊読書人2020年8月28日号ポール・ボウルズ 越境する空の下で著 者:外山健二出版社:春風社ISBN13:978-4-86110-683-5ポール・ボウルズほど誤解と毀誉褒貶に晒されてきた作家は少ない。日本では四方田犬彦による献身的な紹介と批評により、代表作はほとんど翻訳されたが、一冊を除いて絶版の憂き目に遭っている。日本の読者はボウルズを捉え損ねたのだ。映画版『シェルタリング・スカイ』が誤ったイメージを流布したせいもある。ボウルズは自ら出演しているにもかかわらず、映画に否定的だった。最近もボウルズを「失われた世代」の作家と書いている論考を見掛けてその誤りに愕然とした。確かにボウルズは高校生だった一九二八年にパリで出版されていた前衛的な文芸誌『トランジション』にて詩作でデビューし、その後ガートルード・スタインと親交があったが、作曲家としての成功を経て、第二次世界大戦後に小説家として本格的な活動を開始した。ボウルズは彼を慕ったビート・ジェネレーションとも距離を取り、作風は異なるが、その文脈で捉えられることまである。 事は日本のみに留まらない。ボウルズはアメリカ文学の正典(カノン)から零れ落ちた存在だ。エドワード・サイードもタハール・ベン・ジュルーンも、ボウルズを「新植民主義者」と批判した。ボウルズを擁護する研究も「偉大なるアメリカ文学」の系譜に位置づけようとしたが、夜郎自大なアメリカ中心主義の反映でしかなく、無理があった。しかし、現在モロッコの新しい世代の作家はボウルズを支持しており、アメリカでも近年新たな視点による研究書が続々と出版され、今年も新刊が出た。フランスでも研究され続けている。作曲家としての評価も高い。 本書は日本初のボウルズ研究の単著だ。ボウルズに三〇年間「魅了され続けてきた」著者の外山健二は「移動」と「北アフリカ表象」を軸に新しい光を当てている。 序章は代表的な先行研究を挙げて解説する親切な設計だ。第一部はボウルズにとって「移動」とは何だったのかを伝記的な事実に基づいて辿っている。抑圧的な父に暴力を振るわれた幼少時代にボウルズの世界観が導き出されたことが指摘され、家を離れた後はグリニッジ・ヴィレッジ、パリを経由して後に終焉の地となったモロッコのタンジールへと移動する。外山はボウルズの移動をそれぞれの国の時代状況に絡めながら、旅の途上で出会ったスタイン、トリスタン・ツァラの影響を語っている。ユダヤ人であり、同性愛者であり、元共産党員だったボウルズにとって、ユダヤ系コミュニティが多く、国際的で自由な都市タンジールは彼を「庇護」する地だった。 第二部からは精緻な作品の分析が続く。『世界の真上で』に病と医療からスポットを当て、『シェルタリング・スカイ』の北アフリカ表象を論じる。映画版との差異の詳細な比較も行われている。『雨は降るがままにせよ』におけるカミュやボウルズが英訳したサルトルの実存主義の側面にも触れ、『蜘蛛の家』をイスラームと隠蔽された同性愛から分析する。最後はモハメード・シュクリら読み書きが出来なかったモロッコの若者たちの「翻訳家」ボウルズを批評する。外山はモロッコの口承文学を可視化したボウルズの功績を認めつつも、サイードの「オリエンタリズム」という批判を受け入れたうえで、ボウルズを二一世紀の世界文学に接続する。 ボウルズが強く影響を受けた米文学はポーとスタイン程度だ。その作品にはゴシック小説の趣もあるが、若き日の詩作から仏文学のシュルレアリスムの手法を用いており、ジッドも読み込んでいた。以後、実存主義的な小説を書き、晩年にモロッコの口承文学を翻訳したボウルズは世界文学の文脈でしか語ることができない。 ボウルズのかつての読者は本書によって認識を新たにするだろう。昨年、私は偶然ボウルズの著作を再読する機会があった。その小説や自伝は敢えて表層に留まる文体で綴られ、ペシミスティックなユーモアがあり、巧みに構築されており、主体や内面を剥奪されたモノとして人間を扱う冷徹さは現代的で、色褪せてはいなかった。邦訳は古書で入手が容易だ。ボウルズを知らない読者は本書をきっかけに彼の小説を読んで戴きたい。 この研究書はボウルズの異色の文学の根源を解き明かしている。『ポール・ボウルズ越境する空の下で』はボウルズについてのこれまでの認識を一新する画期的な書だ。(かわもと・なお=文芸評論家)★とやま・けんじ=山口大学人文学部准教授・アメリカ文学・英語文学。博士(文学)。筑波大学地中海・北アフリカ研究センター客員共同研究員。共著として『英文学と他者』『アメリカン・ロードの物語学』『二十一世紀の英語文学』など。