――「一人」であることの醍醐味とは――落合博 / Readin’Writin‘ BOOKSTORE店主週刊読書人2021年8月20日号こんな本をつくってきた 図書出版クレインと私著 者:文弘樹出版社:編集グループSURE 仲間内の会話が差別の話になって盛り上がった時、みんなと同じように笑ってやり過ごすのか? そんな話はやめようと言えるのか? 高校生の時の「恥ずかしく後ろめたい記憶」が「あとがき」につづられている。著者の文弘樹さんは三〇年以上も前の出来事をなかったことにしなかった。 本書は図書出版クレインの編集者であり、経営者であり、「在日」としてさまざまな記憶と体験を抱えて生きて来た文さんと、高校の入学式で出会って以来の付き合いだという作家、黒川創さんの対談で構成されている。 京都出身の文さんは大学卒業後、鶴見俊輔さんの雑誌「思想の科学」編集部、水道工務店、映像制作会社、実用書の出版社などを経て一九九六年にクレインを設立した。以来二十五年間で約六〇点を刊行している。印刷以外は文さんがすべてこなす「一人出版社」だ。 四年前に新聞記者を辞めて「一人本屋」を始めたことで僕は「一人出版社」と縁ができた。共和国の下平尾直さん、ころからの木瀬貴吉さん、猿江商會の古川聡彦さん、百万年書房の北尾修一さん、里山社の清田麻衣子さん、エトセトラブックスの松尾亜紀子さん……。彼/彼女がつくった本を仕入れている。誰が作ったのか、顔が見える本ばかりだ。「一人出版社」と「一人本屋」は似ている。 稼ぐというより(稼げない構造なのだが)、出版社を続けていくために文さんは何をして何をしないのか。小さな出版社だからこそできること、その役割を黒川さんに聞かれて、「大出版社がしないことにアンテナを張っておくことができる」(二一〇頁)と答えている。 大手のように新しいもの、旬のものは追いかけない。では、何をするのか。文さんが活路を見出したのが、学生時代に愛読していた金鶴泳の作品集「凍える口」(二〇〇四年)「土の悲しみ」(二〇〇六年)の復刊だ。「名の通った著者の落ち穂拾いの本を小さな出版社がつくっても売れない」(九五頁)と話しているが、文さんなら、売れると分かっても自分がいいと思わなければ、つくらないのではないか。僕も大きな書店で平積みされるような本、ベストセラーは置かない。「一人」であることの醍醐味について「自分の好きなようにできるということ(笑)。そのためには自分の感覚を信じるということ」(一九九頁)と文さんは話す。これも「一人」である僕はうなずくほかはない。 企画会議にかける必要がない「一人」は判断が早い。「本読みじゃないからこその目利きというのもあるのかもよ。あんまり考えすぎないから、自分がこれだって思ったら、ぱっと判断してしまう」(一五八頁)。これも同感。僕も読まないで仕入れる。著者、テーマ、出版社(編集者)、装丁が判断の基準だ。 読み終わって棚に文さんが世に出した本が一冊もないことに気付き、文さんにメールを出すことにした。「初めまして。東京メトロ銀座線田原町近くの本屋です。直接取引を希望します。もし可能であれば、掛け率などの取引条件を教えてください。よろしくお願いします」(おちあい・ひろし=Readin’Writin‘ BOOKSTORE店主)★ムンホンス=編集者・経営者。同志社大学文学部を卒業後、実用書の出版社などを経て、図書出版クレインを設立。「一人出版」の活動を二十五年にわたり続ける。一九六一年生。