――社会をテクノロジー、経済、文化、ロマンス、メディアという切り口から提示――海老原豊 / SF評論家週刊読書人2020年10月30日号トンネル著 者:ベルンハルト・ケラーマン出版社:国書刊行会ISBN13:978-4-336-06666-4 西部の炭鉱町で育ち、鋼鉄工場の技師となったアメリカ人アラン・マック。自身で発明した高硬度のアラニット鋼を使う壮大な計画を打ち出す。アメリカ東海岸からヨーロッパまで海底トンネルを開通させ、列車を走らせるのだ。二十四時間で大西洋の両端を往来することを目指す。出資者を募り〈大西洋トンネル・シンジケート〉という企業を立ち上げる。彼の計算で十五年にも及ぶ地球規模の事業はこうして始まった。 著者ベルンハルト・ケラーマンは一八七九年生まれのドイツの作家。ミュンヒェン工科大学で文学と絵画を学び、教職に就いたのちに、作家としてデビュー。一九一三年刊行の『トンネル』は著者の代表作。秦豊吉の翻訳で一九三〇年に日本でも出版された。本書は、この翻訳と訳者の解説に加え、『トンネル』から強い影響を受けたと自認している二大SF作家、手塚治虫と筒井康隆のエッセイ、それに識名章喜による作者と時代背景をつまびらかにした解説からなる復刻版である。 SF作家の想像力を刺激したのは確かであるが、本書が描くのは人間とテクノロジーの関係にとどまらない。二十世紀初頭の社会をテクノロジー、経済、文化、ロマンス、そしてメディアという切り口から多面的に提示する。解説ではケラーマンが「大衆作家」と位置付けられてきたことが紹介されるが、大衆作家ならではの活力と鮮明さに満ちた筆致で、読者を物語の世界へと連れていく観光文学の様相すら呈する。 風俗描写からトンネルを掘り始めるのは本書刊行年の一九一三年ごろをイメージすればよいだろう。掘削機で地盤を削り、列車を通して岩石をトンネルの外に運び出す。トンネル内には電気と空気と水を供給し、あとはかき集めた数万人の労働者がひたすら掘る。テクノロジーのマイナーな改良はありつつも、驚異的なブレイクスルーはなく、地味な作業を人間の力で乗り切ろうとする。物語を圧倒するのは、速さ、重さ、数・量の多さへの信頼・信奉・信仰だ。当時、多方面で起こっていたテクノロジーによる社会の変化は、文化・芸術の表現にも影響を与え、一九二〇年代前後には文学の世界ではモダニズムを生み出す。洗練された実験的な表現手法を主流文学のモダニズムとすれば、『トンネル』に見られる速さ・重さ・多さへの信仰は大衆文学のモダニズムだと言える。 本書には経済小説の側面もある。出資者を募る会合はトンネル工事の始まりであり、株価・土地の高騰、それを見越した投機、長期化する工事を続けるためのさらなる投資がその後に続く。アランたちは単なる一本調子で困難な事業を登っていくのではない。まるでジェットコースターのように乱高下する。トンネル内での大規模な事故、それに端を発した労働者の暴動とストライキ、株価の下落、アランの逮捕……。時に戦争のメタファーで語られるトンネル工事は、地球に仕掛けた人類の物理的な戦いであるだけではない。貨幣/株をも巻き込んだ、抽象化された記号的戦争でもある。この同時進行はモノとカネへの二極化、労働者と資本家の分離を促す。労働者たちの感情移入の対象であったアランは、トンネル事故のあと、労働力を搾取する資本家として、憎悪の対象となる。果たしてアランは労働者/資本家の分裂をどのように調停するのか。 他にも読者をひきつける要素はいくつもある。アランと妻モード、友人にして信頼できる建築技師のホッビーとの三角関係、あるいはアラン、モード、最大の出資者ロイドの娘エセールとの三角関係。関係性に悩むロマンス小説として読める。さらに、大西洋シンジケートの事業が始まりから終わりまで、成功も失敗も含め、すべて映像記録メディアによってニュースとして娯楽として大衆(=マス)に提供されている。マスメディアの役割を重要視する本書自体はメディア小説とも読める。本書が主題化しているテクノロジーや経済、メディアといったものは、その後も社会においてさらに存在感を増してきたものだ。大西洋トンネルが新旧大陸を結ぶように、本書『トンネル』はそれが描く二十世紀初頭の変わりゆく社会・人間像を、私たちの生きる二十一世紀の社会と私たち自身に結び付けている。(秦豊吉訳)(えびはら・ゆたか=SF評論家)★ベルンハルト・ケラーマン(一八七九~一九五一)=ドイツの作家。第一次世界大戦時には従軍記者として西部戦線に赴く。第二次世界大戦後は、東ドイツの人民議会議員を務め、また独ソ友好協会を設立。ベルリン芸術家アカデミーの創設メンバーとして東独文壇の礎を築いた。著書に『愚か者』『海』『十一月九日』『死の舞踏』など。