――重要事件を的確に説明、刑事司法の役割を問う――石田昭義 / 地の塩書房主週刊読書人2021年12月10日号違法捜査と冤罪 捜査官! その行為は違法です。著 者:木谷明出版社:日本評論社ISBN13:978-4-535-52587-0 本書は無罪判決を三〇件以上確定させ、冤罪は絶対に出してはいけないと訴えつづけ、弁護士になった現在も、ますますその思いを強くしている元裁判官の悲願の書である。「身に覚えのない犯罪の嫌疑を受けて、いくら弁解しても聞いてもらえず有罪とされる者、特に死刑にまで処せられる者の気持ちを想像すると冤罪ほど恐ろしいものはない。……なんとかしてこういう悲劇をなくす方法はないか」。著者のこの思いは、本書の全編を通して切々と伝わってくる。 本書には二十八例の重要な冤罪事件が紹介されている。事例ごとに①どのような事件だったのか。②捜査はどのように行われたか。③裁判はどのように進行したのか。④どのような違法捜査をしたのか。⑤裁判所の判断のどこに問題があったのか、が整理されていて、そこでの状況の説明は要を得て、的確で、わかりやすい。法律に馴染みのない読者にも臨場感をもって伝わると思う。 本書を読み進むうちに、冤罪は誰の身にも起こりうること、しかも家族、親族をも悲惨にすることを読者は知ると思う。無実の人間が公権力によって、悪質極まる手口で、組織的に平然と犯人に仕立てられていく様に、戦慄さえ覚えるのではないか。 違法捜査で問題となるのは、虚偽自白調書を作るための拷問である。それは微罪による別件逮捕からはじまる。拷問の手段は凄惨を極める。本書の具体例を紹介してみたい。 ①被疑者に、殴る、蹴るはもちろんのこと、焼け火箸を左右の耳翼裏と右手甲部にあてての拷問。(幸浦事件一九四八年) ②被疑者に睡眠時間を与えず取り調べ。六日間の内、舎房で寝たのはわずか一晩であった。そのうえ上衣やズボンを脱がされたままの取り調べを受けた。免田さんは死刑の執行に怯えつつ獄中から無実を訴えつづけ、三四年後に晴天白日の身となった。(免田事件一九四八年) ③一〇〇日を超える厳しい取り調べによる虚偽自白の誘導。客観的証拠についても捜査官の捏造があった。検察は死刑を求刑し、死刑判決を確定させたが、その後最高裁による財田川決定「疑わしきは被告人の利益に」がなされ、差し戻されて無罪が確定。(財田川事件一九五〇年) ④「二俣事件」では、事件にかかわっていた現職警察官が被告人の死刑求刑を知って良心の呵責に耐えかねて証言台に立ち「自白は拷問によるものである」ことを供述したが、警察官は即日偽証罪で逮捕、拘留され、挙句の果ては「妄想性痴呆症」という病名をつけられて免職。社会から抹殺されてしまう。(二俣事件一九五〇年) ⑤「松川事件」では、検察は、被告人等が無実であることをわかっていて、決定的な無罪証拠(「諏訪メモ」)を隠匿し、死刑を求刑した。最高裁で原判決破棄差戻し。死刑を宣告されていた被告四名は、寸前で確定判決を免れた。(松川事件一九四九年) 公権力の下での暴行、脅迫、傷害、無実を証明できる決定的な証拠の隠匿。これらに手を染めた者たちは、ほとんど処罰されることはない。権力者側の者たちは、著者の言葉を借りれば「やりたいほうだい」なのだ。憲法が保障する「個人の尊厳」(第十三条)はどこにいってしまったのか。この国では、現在までこのような不条理が横行している。「裁判所は冤罪を阻止する為の責任を負う唯一最終の国家機関であるのに十分な役割を果たしてこなかった。……検察にもの申すような腰の据わった裁判官はどこにいってしまったのでしょうか。この国の刑事司法の先行きが本当に心配です。」(著者) 国民の側からの司法改革は遅々として進まない。「証拠の開示」「取り調べの可視化」など極めて不十分である。真の改革は、まず国民が司法に関心をもつことである。その意味で本書が一般読者に向けてはもちろんのこと、高校教育の教材として取り入れられたら、どんなに素晴らしいかと思う。「自らの人権は自らで守りぬく」の意識を若い頃から醸成させることは、しっかり根の張った民主主義を醸成させることに通じると思うからである。(いしだ・あきよし=地の塩書房主)★きたに・あきら=元裁判官・弁護士。東京地裁判事補任官後、最高裁調査官、水戸地裁所長、東京高裁判事部総括を経て、二〇〇〇年退官。法政大学法科大学院教授も務めた。一九三七年生。