――多様な主題を異なるコンテクストで読み解く――西山雄二 / 東京都立大学教員・フランス思想週刊読書人2020年5月15日号(3339号)テロルはどこから到来したか その政治的主体と思想著 者:鵜飼哲出版社:インパクト出版会ISBN13:978-4-7554-0301-9この二著作は、ジャック・デリダやジャン・ジュネなどの翻訳と研究で知られるフランス文学者・鵜飼哲による政治・社会時評の集成である。すでに彼の政治的論考は『主権のかなたで』(岩波書店)などの著作で読むことができるが、今回の二著作では著者が遭遇した同時代の事象により肉薄する形で言葉が紡ぎ出されている。 『テロルはどこから到来したか』では、著者の院生時代、一九八六年に執筆された文章から、フランスでの風刺新聞へのテロ事件までの文章が収められている。ニューヨークでの九・一一事件以後、「テロリズム」は単純な罵倒語ではなく、「正義」や「平和」といった政治概念と同じく、批判的に扱われるべき「究極の政治概念」と化した。こうした視座のもとで、アルジェリアの内戦以後の現状、イスラエルと南アフリカの植民地主義的政策、フランス社会のポピュリズム化までが語られる。 『まつろわぬ者たちの祭り』に収録されているのは、主に二〇一一年の東日本大震災以後の論考だ。震災と原発事故から、天皇代替わり、東京オリンピックに至るまで、日本社会が妄信的に推し進めてきた「祝賀資本主義」体制が峻厳たる批判の俎上に載せられる。福島原発の事故を考えるために、著者の思索は近代日本における東北地方の差別的状況から、フランスの原発政策と対抗運動の歴史にまで及ぶ。震災からの復興五輪として構想される東京オリンピックを分析するにあたっては、近代天皇制が国民統合としていかに機能してきたのかが示され、新たな国民主義と新自由主義的な世界資本主義との結託が厳しく斥けられる。 著者は文学と思想の研究に裏打ちされた独自の政治思想と実践を鍛え上げており、日本、フランス、中東といった柔軟な視点をもちあわせている点でたぐい稀な知識人たりえている。そんな著者の力量が遺憾なく発揮されている文章のひとつが「歴史的類比と政治的類比のあいだで」だ。イスラエルのシオニズムと南アフリカのアパルトヘイトが類比的な関係のもとで分析され、両者の類似点と相違点が列挙される。例えば、ユダヤ人とボーア人はそもそもヨーロッパにおける宗教的迫害を経験した人々で、彼らは共通の民族神話を有しつつ、原住民搾取の体制を構築した。こうした歴史的類比とは異なる政治的類比から浮き彫りになるのは、「人類に対する犯罪」がイスラエルの非人道的行為には適用されないという現代の不条理である。このように著者自身が歴史と政治の文脈を多面的に映し出す動的な「鏡」となることで、同時代の事象と問いがより明確な姿で浮かび上がるのである。「三〇年あまりの間、時代をみつめてきた私の仕事に、ひとつの『軌跡』と呼びうるような一貫性があるかどうか」と著者はあとがきで自問する。しかし逆に、これだけ多様な主題を異なるコンテクストで読み解く著者の立場やスタイルが一貫していることに驚かずにはいられない。複雑な事象を鮮明に描き出す彫琢された文体と洗練されたレトリック。説得的な結論を導き出す緻密な論理展開。考察対象へのコミットメントを示すための自伝的な語りの挿入。問いの核心を浮かび上がらせるための歴史的・社会的なコンテクストへの配慮。具体的な運動実践のチャンスへと差し宛てられる著者の息遣いと身体感覚。同時代の社会を的確に考察するためには、どれほど複眼的な視点が必要であり、反時代的な立場がいかに効果的であるのかを、本書から思い知らされるのである。(にしやま・ゆうじ=東京都立大学教員・フランス思想)★うかい・さとし=一橋大学特任教授・フラン文学・思想。著書に『抵抗への招待』『ジャッキー・デリダの墓』など。一九五五年生。