――ローカルな社会構造や風俗描写、死とその予感をはらんだ悲劇――田中庸介 / 詩人週刊読書人2020年10月23日号暗い世界 ウェールズ短編集著 者:河野真太郎(編)出版社:堀之内出版ISBN13:978-4-909237-53-8 本書は英国・南ウェールズの炭鉱地帯に根差したウェールズ英語文学のアンソロジーである。一九四〇年代のリース・デイヴィス「暗い世界」、グウィン・トマス「あんたの入用」、マージアッド・エヴァンズ「失われた釣り人」とともに、八〇年代のロン・ベリー「徒費された時間」、それに二〇一三年のレイチェル・トレザイス「ハード・アズ・ネイルズ」という合計五編の短編小説が、編纂の河野真太郎さんを中心とした四十~五十歳代の英文学界の新しいホープたちによって華麗に訳出されている。南ウェールズの英語文学は日本ではこれまでほとんど紹介されて来なかったと思うが、本書は戦中・戦後期から現在に至るまで、この経済的に虐げられた地域の文学のあり方を伝えるすぐれた一書である。 これらの五編は、死または死の予感をはらんだ悲劇が、ローカルな社会構造や風俗の描写を通して描かれていくところに共通点がある。「暗い世界」は葬式あさりをする二人組の少年が、かつての恋人の死に立ち会う羽目になる皮肉。「あんたの入用」は抜群の競歩テクニックをもつ「オンルウィンのおっちゃん」が、競歩に優勝したのにもかかわらず狡猾な詐欺師に口先だけで葬り去られ賞金を受け取れなくなる悲劇。「失われた釣り人」は戦時中の自然に対する憧憬とプチロマンス。「途費された時間」は鳩レースに熱中して現場労働を続けてしまった鉱夫が「百パーセントの」じん肺の診断により働けなくなり自裁するまで。そして「ハード・アズ・ネイルズ」は現代の南ウェールズの街のネイルサロンの経営者による、いくぶん排外主義のにおいのする嬰児殺し。いずれの作品も、避けがたい偶然と必然に翻弄される登場人物たちの、なんらかの人生的な判断の誤りによる運命のいたずらを描くものである。そこには、苛烈な自然環境と過酷な経済状況がいずれも通底していることは論を俟たないだろう。 ところで、これらの作品の登場人物群には、墓場のユーモアとも言うべき奇妙な明るさが満ち溢れていることにも注目したい。中でも傑作なのは「オンルウィンのおっちゃん」の考え出した競歩テクニック。「おっちゃんは昔、白馬って呼ばれてたんだよ。長くて白い股引を履いてるし、足取りもすごく強靭だからさ。それにスタートの切り方にも秘訣がある。両足をぐにゃりと曲げてかまえたあと、弾丸のように飛び出していくんだ」「おっちゃんは棺のような丈の長い箱を作って、そこに馬糞を半分敷き詰めた。そして家の裏の小屋に箱を置き、この一週間というものそのなかで睡眠を取りつづけたんだ。おかげでこの一週間でおっちゃんの身体はどんどんぐにゃぐにゃになってきた」「おっちゃんにはグリップって秘密道具があるからさ。(…)グリップを口に装着すると(…)歯という歯は突き出し、剥き出しになる。(…)白馬って呼ばれるのは(…)おっちゃんの顔がまったくもって馬面になるからなんだ」 この痛快な描写は、まったくもってケルト神話に出てくる半獣半人の英雄のようだ。そしてそれを支える三人の少年たちはつねに彼の側にいる。この本の登場人物たちがその英雄的な振舞に見合わず、現世的に成功を収めることができないのは、彼らが貧しい資本主義や商業主義の枠組みに加わらない子供たちとともに、自然の中で現代の神話を生きつづけている特権性ゆえのこと。そしてそれこそが「物語」の原初的な権能であったことを、このすぐれたアンソロジーは私たちに思い出させてくれるようだ。(川端康雄・河野真太郎・中井亜佐子・西亮太・山田雄三訳)(たなか・ようすけ=詩人)★リース・デイヴィス(一九〇一~一九七八)=南ウェールズ、ロンザ渓谷の炭鉱町ブラインクラダハ生れ。「選ばれた者」によって、米国のエドガー賞(短篇部門賞)を受賞。★グウィン・トマス(一九一三~一九八一)=南ウェールズ、ロンザ渓谷の炭鉱町クンマー生れ。代表作に『暗い哲学者たち』など。★マージアッド・エヴァンズ(一九〇九~一九五八)=ロンドン郊外、アクスブリッジ生れ。代表作に『カントリー・ダンス』など。★ロン・ベリー(一九二〇~一九九七)=英国、南ウェールズ出身の小説家。著書に『狩る者と狩られるもの』など。★レイチェル・トレザイス(一九七八~)=南ウェールズ、ロンザ渓谷のクムパルク生れ。『新鮮な林檎』で第一回ディラン・トマス国際文学賞受賞。