五味渕典嗣 / 早稲田大学教授・日本近代文学週刊読書人2022年2月25日号 文学と戦争 言説分析から考える昭和一〇年代の文学場著 者:松本和也出版社:ひつじ書房ISBN13:978-4-8234-1103-8 著者の松本和也氏は、この間、『昭和一〇年代の文学場を考える』(立教大学出版会)『日中戦争開戦後の文学場』『太平洋戦争開戦後の文学場』(いずれも神奈川大学出版会)を立て続けに刊行、日本文学にとっての「昭和一〇年代」をめぐって、精力的な検討を行ってきた。全18章、約五八〇ページの大著で、質・量ともに著者の一連の研究の集大成とも言えるだろう。「集大成」と述べたのは、著者自身の問題設定や方法的土台が再確認・再定義されているからでもある。松本氏は何度か「フラットな分析」という言い方をしているが、これは、取り上げる書き手の歴史的評価や政治的スタンスなどにとらわれず、あくまで書かれたことばとその行方を徹底的に観察しようという態度表明に他ならない。ピエール・ブルデューに依拠しただろう「文学場」という氏のコンセプトは、文学をめぐることばたちを登場人物とする群像劇の舞台と見なすことができる。この舞台の上ではつねに複数の声がざわめいているが、そのうちのあるものは複数の人物が共有する「問題」として意識され、別のものはさしたる波瀾も起こさずに忘却されていく。似たような議論が繰り返されることでいつのまにか「問題」へと発展していくものや、地層のように積み上がったことばが別の文脈に接合されることで、新たな論点を生み出すこともある。そんな「問題」たちの栄枯盛衰のドラマを冷静に記述していく本書のスタイルは、近年しばしば見られるような、あらかじめ用意されたストーリーに資料を流し込んでいくような研究に対する強烈なアンチテーゼともなっている。 こうした方法を採った必然として、本書が取り上げる「問題」は多岐にわたる。第Ⅰ部では文芸時評・新聞小説をめぐる論議からこの時期の文学者たちのメディア認識と社会との距離感が素描され、第3章「繰り返される〈ヒューマニズム〉ブーム」では、戦前・戦時・戦後を通じて文学者の「良心」を根拠づける標語として濫用された「ヒューマニズム」の語が、文学者の戦争協力を正当化する論理へと転化していった様子が説得的に論じられる。主に日中戦争期の「問題」を扱った第Ⅱ部では、中国大陸での戦火拡大をはさむかたちで連載された吉川英治『宮本武蔵』について、主人公・武蔵の「求道精神」が戦場での「皇軍兵士」の姿と重ねられていく受容の文脈を指摘した第9章が示唆に富む。アジア太平洋戦争開戦後の「問題」をたどる第Ⅲ部では、丹羽文雄、岩田豊雄、尾崎士郎らの作品がどう読まれたかを手がかりに、「国民」の声の代弁者たろうとした文学者たちが、戦争の中を生きる「私」に焦点化することで、文学に「芸術性」と「社会性」の双方を担保しようと苦闘したさまが抽出される。松本氏は「昭和一〇年代」の新聞・雑誌・単行本から大量に言説資料を収集、それらをビッグデータ分析のように舞台の上に配置し、「問題」として整理することで、それぞれのタイミングでの文学と文学者の生態系を手際よく浮上させていく。 加えて本書の記述は、「昭和一〇年代」に書かれた文学作品を、時々の「問題」に対する応答と捉える視座を与えてくれる。岸田國士が移動演劇用の脚本として書き下ろした戯曲『かへらじと』の作中に構造化された空白の意味を読み込んでいく第17章、アッツ島での日本軍「玉砕」が新聞報道で、韻文で、散文の表現でどう語られたかを検証した上で、二人の若き文学者の死をモチーフとした太宰治『散華』の読解に節合する第18章の議論は、本書の達成を作品分析に応用した実践例と言えるだろう。小説・評論ばかりが扱われがちな研究動向の中で、この時期の詩(第4章)と翻訳(第5章・第11章)への目配りがなされたことも見逃せない。「人文学の危機」が叫ばれて久しいが、松本氏の一連の研究は、「昭和一〇年代」の文学者たちも、「文学は何の役に立つのか」という問いと向き合っていたことを教えてくれる。文学は誰にとって・どんな意味で「有用」であるべきか、文学の有用性を問う「社会」の声とはつまるところ誰の・どんな立場にもとづくものかなど、議論の土台自体を問い直す批判的な視点を持たない限り、文学を「社会」につなぎ止めようとする営為は、結局のところ現実追随しかもたらさないことは、すでに八〇年前に明らかとなっていたのである。「社会」からの要請を過剰に内面化した文学者たちが、メディアの片隅で「文学は世の中の役に立つ」とアピールし続けた帰結が文学者の国策協力・戦争協力につながったという氏の指摘は重い。加えて松本氏は「あとがき」で、近年の文芸誌の「文学ばなれ」の傾向に注意を促しているが、過去の無自覚な反復を避けるためにも、本書の達成を出発点とする議論の展開が必要だろう。本書は基本的に東京のメディアに掲げられた言説を検討対象としているが、よく知られるように、「昭和一〇年代」には、台湾・朝鮮・満洲といった場でも日本語の文学が創作されていた。東京のメディアも、多分に営業的な思惑から、当時の植民地出身の書き手をリクルートしていた。新しい世代の女性作家たちが活躍を始めるのもこの時期に当たっている。では、東京の「文学場」は、こうした書き手たちをいかに迎え入れ、そして排除したのか。一般に「文学場」は、再生産の危機に陥ると自らの〈外〉に目を向ける傾向がある。文学・文化に携わる一人として、松本氏が描き出した「昭和一〇年代」の文学者たちの姿を反面教師としなければならない、と改めて思う。(ごみぶち・のりつぐ=早稲田大学教授・日本近代文学)★まつもと・かつや=神奈川大学教授・日本近代文学。著書に『昭和十年前後の太宰治 〈青年〉・メディア・テクスト』『現代女性作家の方法』など。一九七四年生。