ニュー・エイジ登場井岡詩子 / 京都芸術大学・摂南大学非常勤講師週刊読書人2020年11月27日号ジョルジュ・バタイユにおける芸術と「幼年期」著 者:井岡詩子出版社:月曜社ISBN13:978-4-86503-096-9「男の子になりたかった」と言うよりも、自分はなぜ男の子でないのかわからなかった。「ビー玉になりたかった」口に含むと、冷たさと重さが舌に下りてくる。黄金のように特別な物質であることがわかった。「鳥になりたかった」移動の自由は精神の自由と思っていた。されど迷い鳥になることを恐れないだけの勇気はなく、臆病という檻に閉じ込められていた。「風になりたかった」通学路の坂のうえ、強い風が吹いている日には窒息する遊びをした。風に向かって呼吸のタイミングを合わせると、風が胸の奥まで入ってきてくれた。満たされる感覚を楽しんだ。「空になりたかった」帰り道、西の空全体が虹になっているのを見た。空をおおっていた薄い雲が、日を翳らせると同時にその光を散り散りにしていた。太陽が傾くにつれ、空は青に還っていった。「沈黙になりたかった」千人あまりが集う礼拝堂で完全な無音を試した。いっさいの震えを失った空気が、わたしたちをひとつの塊にした。外を走る自動車の音ですぐに壊された。「落ち葉になりたかった」茶色くくしゃくしゃになったプラタナスの葉が風で縁石にぶつかった。雀が勢いをつけて頭を打ち当て、自害したかに見えた。衝突で重みを失ったその物体は、どこかへふわふわ去った。「地球になりたかった」祖父の灰を構成していた物質がこの体に巡ってきたとき、骨張った手に触れる夢を見た。静かな冬の朝、キジバトが鳴いていた。ミルクティーを飲んだ。「木漏れ日になりたかった」風に揺れる網の目状の陽光は、超越した存在を映しだすステンドグラスだった。晴れた日、木のしたに座るだけでその者に逢えた。透かし模様の装飾は御守りのようなもの。「宇宙人になりたかった」ある日、目覚めたらすべてが夢であった。そんな日を待ち続けていた。毎朝わたしとして目が覚めるという絶望を二十数年繰り返して、ようやく認めざるを得なくなった。この世界とわたしはどうやら現実に存在しているのだと。「そのときが来たら、大地に横たわり、湿った土の匂いを嗅ぎながら野垂れ死にしたい」垣根のなかで静かに眠っていたカラスのように。 * わたしの居るべき場所はここじゃない。ほんとうの故郷がどこかにあるはずで、早くそこに還りたい。長いこと、そのような強迫観念に支配されてきた。この漂流したノスタルジーが、バタイユとの唯一の接点だったのではないかと思う。なんの知識もないまま偶然手に取った『宗教の理論』で「失われた連続性へのノスタルジー」についての記述に出会って、少しずつかれの作品を読み進めるようになった。 そのノスタルジーをいっときでも満たすためにバタイユが供犠を実践したのとは反対に、わたしは、漂流したノスタルジーに身を任せるには臆病すぎて、いつも辟易ろぐ。自分の境界を侵されること、自分の殻から引き摺り出されること、しばしば芸術が試みる(と言われている)ようなそういった出来事に飛び込むことができない。「水のなかの水のように」在ること。希求と不可能性のあいだで、動物と人間のあいだで、誕生と死のあいだで、その隘路を探し求める。なにも知らなかったとき、わたしたちがそのただなかで遊び、眠り、泣き、笑っていたはずの隘路。 垂直の滑り台から、周りの子どもたちと同じように飛び降りることができず、いつまでも滑り台の隅に腰かけていた。跳ぶのは楽しいだろうか。わたしは跳べない。きっと、足元の落ち葉を拾い続ける。★いおか・うたこ=京都芸術大学(旧称:京都造形芸術大学)・摂南大学非常勤講師。美学・芸術学・表象文化論。京都大学博士(人間・環境学)。一九八七年生。