――住民側の視点に立ち、公害克服を進める科学者の生き方――向井嘉之 / ジャーナリスト・イタイイタイ病を語り継ぐ会代表運営委員週刊読書人2021年10月8日号イタイイタイ病発生源対策50年史著 者:畑明郎出版社:本の泉社ISBN13:978-4-7807-1823-2 イタイイタイ病は日本の公害病認定第一号であり、イタイイタイ病裁判は四大公害訴訟の先頭を切って一九七一年原告の被害住民が勝訴した裁判である。そして翌年一九七二年の控訴審判決で原告側の完全勝訴が確定、被告・三井金属鉱業と原告・被害住民団体との間で、「イタイイタイ病の賠償に関する誓約書」「土壌汚染問題に関する誓約書」と「公害防止協定」が結ばれ、これら三つの文書が裁判後の被害者救済と環境の再生・復元の出発点となった。 発生源対策とはこの時に締結された「公害防止協定」に基づき、神岡鉱山からイタイイタイ病の原因となったカドミウム等の重金属が流出しないよう調査・監視する活動のことである。本書は多くの犠牲者が出た神通川流域の被害住民らとともに、原因企業内部に入り、汚染源を徹底的に調べ上げた科学者、元大阪市立大大学院教授・畑明郎さんの貴重な記録である。 畑さんらの調査の武器は「公害防止協定」によって被害住民が勝ち取った立入調査権だった。控訴審判決直後の第一回立入調査時、畑さんはまだ京都大学大学院生だったが、発生源対策の委託研究が排水や排煙など五つの班に分かれて組織され、畑さんは排水班に属した。立入調査のポイントはまず一体どれくらいのカドミウムが神岡鉱業所から神通川の上流である高原川へ流出しているのか、また排煙として大気中に放散しているかを確認することだった。さらに、これまでの神岡鉱山の鉱業活動で旧廃坑・廃滓捨場の多くが野ざらしに放置され、これらからの流出物も河川を汚染していた。立入調査を続けていた畑さんらは神岡鉱業所による神岡鉱山一帯の重金属汚染がいかに広範囲かつ深刻であるかを知らされたが、委託研究班発足以来五年にしてようやく神岡鉱山における重金属汚染の発生源と各汚染メカニズムの大略を解明した。 畑さんらの公害を絶滅するための息の長い苦闘が始まったのはむしろここからである。委託研究班は協力科学者グループとして再編成され、被害住民団体は年一回の全体立入調査のほかに、年一〇回程度の専門立入調査も実施してきた。畑さんは協力科学者グループのリーダーとして戦前からの企業利益優先に基づき構築された神岡鉱業所のシステムを、「絶対に再汚染させない」という信念のもとに、半世紀にわたって環境優先の工場へ組み替えるために科学者として全力を注いだ。 原告勝訴後五〇年に及ぶ発生源対策の結果、神通川の水質はようやく自然界の水準にまで改善され、神岡鉱山が神通川に排出するカドミウム負荷量は第一回立入調査時に比較して現在は約一六分の一に削減された。半世紀にわたる原因企業との問題解決へのたぐいまれな努力は、確かに「日本の公害問題解決の先進モデル」と述べてよい。 しかし発生源対策の到達点はこれで終わらない。畑さんは「発生源対策の今後の課題」として豪雨や地震などの異常時対策に最大限注意を払うべきだと指摘する。神岡鉱山には現在稼働中の鹿間谷・増谷・和佐保の三つの堆積場がある。選鉱廃滓や沈殿物を捨ててきた堆積場には莫大な量のカドミウムが堆積している。三つの堆積場を合わせると五〇〇〇トン以上のカドミウムが残るとのことだ。実際、一九五六年には和佐保堆積場が集中豪雨で決壊し一万五〇〇〇立方メートルの廃滓が河川に流出した歴史がある。特に最近の豪雨は過去に例のない、時間雨量一〇〇ミリや連続雨量一〇〇〇ミリを超える集中豪雨が頻発しており、神岡鉱山周辺でも今後の異常集中豪雨対策が急がれる。また、和佐保堆積場上流は土砂災害特別警戒区域に指定されている。 清流復活の軌跡をたどる本書には汚染源調査にかける科学者としての畑さんの熱い思いがみなぎっている。それは絶えず住民側の視点に立って企業側に提案し、公害克服を進める畑さんの生き方そのものである。イタイイタイ病は二〇二一年の今年、「原告勝訴五〇年、立入調査五〇回」の大きな節目の年を迎えた。『イタイイタイ病発生源対策50年史』は、「下流に命あり」と問い続ける畑さんの声でもある。(むかい・よしゆき=ジャーナリスト・イタイイタイ病を語り継ぐ会代表運営委員)★はた・あきお=元大阪市立大学教授・公害・環境経済論。京都大学大学院工学研究科金属系学科博士課程修了。著書に『イタイイタイ病』『金属産業の技術と公害』『土壌・地下水汚染』など。一九四六年生。