全国拡大の理由、深刻な被害や鎮魂行為も描く 遠藤基郎 / 東京大学史料編纂所教授・中世日本史週刊読書人2022年1月21日号 都鄙大乱 「源平合戦」の真実著 者:髙橋昌明出版社:岩波書店ISBN13:978-4-00-061491-7 いわゆる源平合戦は、源氏の棟梁源頼朝が平氏一族を滅ばした武士同士の争いにも見える。しかし約五年という短期間で収束したものの、全国規模で様々な軍事衝突がおきたことや鎌倉幕府という新たなアクターの登場で新しい時代に繫がったなどの点で、戦国時代の内戦状態に匹敵する歴史的な画期であった。学界で「治承・寿永の内乱」と称される所以である。 著者高橋氏は、院政期の武士や平氏一族の歴史研究の牽引者であり、本書では治承・寿永の内乱論にがっぷり四つに組んでいる。 平氏追討の以仁王の令旨、それに応じた各地の源氏の挙兵、平氏の対応、大飢饉の到来による戦況の停滞、義仲による京都占領と平氏の都落ち、義仲の滅亡と頼朝軍の平氏攻撃とその滅亡、という流れで、一一八〇年から一一八五年まで描かれ、最後に高野山、鎌倉、但馬(現在の兵庫県北部)、東大寺での死者への鎮魂に及び筆が置かれる。著者は「内戦」という言葉を使用しないものの、現今のスーダンやシリアの状況と同じと考えるならば、むしろ「内戦」という言葉を用いた方が、より身近に感じることができるだろう。 著者は、この内戦の実態を軍事史・政治史の視点で叙述する。『吾妻鏡』など原史料が読み下しと解釈とともに引用され臨場感を与えている。原史料の内容真偽判定も随所にあり、情報吟味の必要性とファクト確認の重みを示している。この内戦の歴史は多くの研究者によって多角的に検討されており、その成果を積極的に取り入れていることも特徴である。つまり学術書としての水準にもある。日本中世史は近年「~乱」を冠した書籍の出版が続く中、本書はその重厚さにおいて群を抜いているのだが、著者の技量によって読み物として広い読者を引き込む仕上がりとなっている。 著者の目的は内戦過程の大きな叙述だけにあるのではない。全国的な内戦に短期間で拡大した理由と、内戦によってもたらされた多くの不幸・苦しみ・悲しみを明らかにする点もまた目的とする。 内戦が全国化した背景は、遡ること八十年、十二世紀に入ってからの天皇家による御願寺の造営ラッシュとそれに付属する天皇家領荘園の爆発的な増加にこそ求めるべきであった。よく知られるように、荘園は本家―領家(預所)―現地荘官という重層関係にあり、天皇家領荘園で本家となるのは、上皇や女院(天皇家女子)などである。荘園ができあがった時点で本家と領家の間で上納する年貢などの量が定められるが、時間の経過とともに本家側はその増額を要求するようになる。その背景には荘園内部の開発の進展や領域の拡大があるが、自らの収益を増やそうとする現地勢力の努力によるものであった。自らの果実を奪い取る本家側の要求は彼らには簡単には受け入れがたいものであり、本家に対する現地側の不満のマグマが全国規模で溜まる。内戦が短期間に全国展開したのは、こうした事情による。内戦収束後、荘園領主は原因となった自らの貪欲を改めるところがあり、現地との融和を図るようになり、また天皇家側も御願寺とそれに伴う荘園設定を控えるようになったのではないかとの見通しを著者は示す。 もうひとつの内戦の不幸・苦しみ・悲しみとして最初に言及されるのは、内戦開始直後の天候不順(一一八〇年旱魃、翌八一年多雨)により、畿内地域で発生した大飢饉である。有名な方丈記の記述から京都での深刻な被害が描き出される。それは内戦によって地方の荘園から首都への物流が途絶することにより深刻度を増したのであった。 もちろん内戦によって直接にこうむった困難もあった。著者はそれらを正面に据えて論じるという方法は採らず、戦後の鎮魂行為によって間接的に読者に窺わせる。まず取り上げられるのは西日本サイドの朝廷側のトップ後白河によるもので、高野山金剛峯寺での両界曼荼羅供養であって、密教の根本世界を織りなした巨大な織物へ祈りを捧げることで、滅亡した平家とそれに関わったすべて人々の冥福を祈った。 これに対して、頼朝による鎮魂も対置されるのだが、その評価はやや手厳しい。いわく自らの行為を正当化し権力を強化するための演出に過ぎない、と。そのことがもっともはっきりするのは、東大寺大仏再建に関わる評価である。後白河は民衆を再建イベントに招きいれ、人々と鎮魂を共有するが、頼朝は民衆を排除した厳粛な儀式空間を実現することで、その冷徹な権力を誇示した、とする。 この東大寺大仏殿再建をめぐる二人の違いの指摘は興味深い。ただし著者の評価とは異なる見解もまたあり得るのではないだろうか。一一八〇年から五年間の内戦の直接的な起点が、その前年の清盛による後白河の幽閉にあり、それが近臣を優遇した後白河の軽率な振る舞いの結果であることも明らかであり、それへの「謝罪」なしの鎮魂がどの程度意味があるのか、という思いもよぎる。一九四五年八月を挟んだ二つの昭和天皇イメージと重なる点があって居心地が悪いのである。 またこの内戦を、東日本と西日本の地域対立としてとらえるという視点もありうるように思われる。著者の視点はどちらかと言えば西日本からのものだが、東日本からのもの、さらにはより複眼的・多元的な視点での描き方の可能性もあるだろう。そうしたことまで考えは広がる。本書の与える刺激は計り知れない。(えんどう・もとお=東京大学史料編纂所教授・中世日本史)★たかはし・まさあき=神戸大学名誉教授・中世日本史。同志社大学大学院文学研究科修士課程修了。大阪大学で博士(文学)を取得。著書に『平清盛 福原の夢』『平家と六波羅幕府』『武士の日本史』など。一九四五年生。