暗い情念を理解しようとする自叙伝 西野智紀 / 書評家週刊読書人2022年2月4日号 哲学の蠅著 者:吉村萬壱出版社:創元社ISBN13:978-4-422-93090-9 幼少期、母親から受けてきた熾烈な虐待の思い出より話は始まる。「よい子」になってほしいという考えのもと、叩かれる、つねられる、ひねられるといった体罰の日々。脳が壊れるとバカになってしまうので頭は殴られなかったが、体中痣だらけだった。 そうした歪みのある家庭環境のためか、主人公は悪の誘惑に負けるようになる。昆虫の手足をもぎとってバラバラにしたり、野良犬を側溝に投げ落としたり。同級生へのいじめや万引きで、他人にも迷惑をかけた。やがて愚行は勢いを強め、人気のない場所での野外露出、母親の「二頭の白イルカのような」肢体への欲情、女への変身願望といった情念に突き動かされていく……。 小説家デビューから二十年、還暦をすぎた著者がその常識離れした半生を自叙伝として綴ったのが本書である。私小説とも、エッセイとも読める文体になっているのが特徴だ。 前述のように、目を見張るのはその「人の道」を外れた行動の数々だ。中学時代は世の中のオカルトブームに呼応しオカルティズムに傾倒、高校に入るとコリン・ウィルソンを端緒にして文学に熱中する。大人になるにつれて愚行が減っていくかと思えばそうでもなく、思春期には夜中に深い森で全裸になって自慰行為に耽り、大学生の時にはヌードデッサンや男娼のバイトに精を出した。 主人公には、「人の道」を生きることを是とする母親、もっと言えば真っ当な生き方しか認められないとする息苦しい社会的圧力への反発心が常にあった。カオスや不浄、不潔、無秩序なるものに惹かれ、世間からすれば恥部でしかないダークサイドをこれでもかと微細かつ客観的に詳述していくさまは、なかなにどぎつい。 しかしながら、本書が堕落した、狂気に満ち満ちた慟哭の記録かといえば、そうではない。むしろ、読み進めていくと、自分のありようを徹底して客体として捉え、暗い情念を理解・分析しようとする苦闘の物語が浮かび上がってくるのだ。大学に入り哲学を専攻、卒業後は紆余曲折を経て学校教員となり、その後プロ作家になるまで二十七年教職を勤め上げたことからも、主人公が自身の心奥に潜む闇に染まりきれなかったことがわかる。 著者はこのように書く。《「人の道」を強制されるのは御免だが、「人の道」を踏み外すような人間は許せない。なぜなら、そういう人間の相手をするのは大層しんどいことだからだ。面倒臭い上に、エネルギーが吸い取られてしまう。こういうところが私という人間の矛盾した点である。》 よくよく考えてみれば、およそ人間は誰しも程度の差はあれ他人にはおいそれと話せない欲動を抱えているものである。それを思う存分解放できれば幸せだが、皆が皆そのような生き方を選択したら、社会性もへったくれもない無秩序な世界が待っている。従って、秩序を守りつつ、欲望に手綱をつけて、適度に発散していくほかない。本書の主人公の処世術は、哲学であり、文学であり、小説であり、芸術だった。もちろん、教員になっても続いた密やかな変態行為も。 著者は自身を「十分に罪深く、どこまでも偽者で、そして軽蔑すべき存在」と書くが、小説家が嘘をつく仕事であるにしても、自分に正直な人物という印象しか受けなかった。「人の道」を嫌いながら、逸脱できず、世間的に見ればかなり真っ当に生きている中途半端さ。だから近しく、親しみやすい。本書の最後、母親との複雑な関係を示す一文から滲む激しい葛藤が、なんとも胸に残る。(にしの・ともき=書評家)★よしむら・まんいち=作家。著書に『ハリガネムシ』『ヤイトスエッド』『臣女』『虚ろまんてぃっく』『うつぼのひとりごと』『流卵』『死者にこそふさわしいその場所』など。一九六一年生。