成長に伴う痛みと切なさが詰め込まれた青春小説 円堂都司昭 / 文芸評論家週刊読書人2022年3月11日号 愚かな薔薇著 者:恩田陸出版社:徳間書店ISBN13:978-4-19-865347-7 山間の町に少年少女が集められた。「虚ろ舟乗り」になるためのキャンプに参加するためだ。それは、夏に当地で催される祭りと時期が重なっていた。キャンプをめぐって不穏な空気が高まっていくなか、長期に渡る祭りのクライマックスである徹夜踊りが始まる。恩田陸『愚かな薔薇』の物語は、おおまかにいえばそのように進んでいく。 文化祭の劇の場面が衝撃的だったデビュー作『六番目の小夜子』、夜を徹して八十キロを歩く高校の伝統行事を描いて本屋大賞を受賞した『夜のピクニック』など、恩田は通過儀礼のイベントを中心にした記憶に残る青春小説を書いてきた。『愚かな薔薇』もその系譜にあるといえるだろうが、一四年におよぶ連載を経て書籍化されたこの長編小説には、多くの要素が盛りこまれている。「虚ろ舟乗り」になるとは、体が「変質」し永遠の命を得ることを意味する。選んだ他人の腕に「通い路」という器具で傷をつけ、血を飲む。「血切り」と呼ばれるその行為を繰り返して「変質」は進む。大人たちはなぜ、キャンプを開いて「虚ろ舟乗り」を増やそうとするのか。それは、人類が地球を離れ、遠い星へ行かなければならないからだ。「変質体」になれば、人間の普通の寿命では不可能な宇宙での長旅が可能になる。書名の『愚かな薔薇』とは、枯れないまま永遠に散らないことを指す。萩尾望都のイラストが入った期間限定カバーに「吸血鬼SF」と銘打たれ、彼女が寄せたコメントで『地球幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)を引きあいに出しているのは、そのような設定ゆえである。 キャンプ中には「木霊」と称されるなにかが徘徊し、残虐な出来事が散発する。一四歳の主人公、高田奈智は、幼い頃に母が殺され、行方不明の父が殺したといわれているが、真相は明らかになっていない。ホラーやミステリーの要素も含まれているわけだ。他の少年少女の大半が「虚ろ舟乗り」に憧れを抱きキャンプへ参加したのに対し、ろくに事情を教えられぬままやってきた奈智の心は不安で揺れ動く。 どろりとした血の塊を吐くのが「変質」の始まりであること。親戚で高三の深志は、奈智の最初の「血切り」は自分だと望んでいるものの、彼女は行為に拒絶感があること。それらは、性の目覚めの暗喩だろう。また、「虚ろ舟乗り」は、憧れであると同時にバケモノとみられ忌避されるという。現実世界において力を獲得していく子どもが引き起こす歓迎と恐怖の反応が、「変質」の設定を通しデフォルメされて描かれているといえる。 一方、彼らを迎え入れる世界の方は、『地球幼年期の終わり』が引きあいに出されるように、ある時期の終焉が近づきつつある。子どもをとり囲む世界が、いわば老化しているわけだ。だから、宇宙を目指さなければならない。興味深いのは、物語が三味線やお囃子の音が聞こえる祭りの期間を背景とし、「血切り」を行う場所が茶室とされている点。作中には大臣の来訪でキャンプや地元の関係者がおたおたする展開があり、山間の町のせせこましさが感じられる。和風、ローカルの描写で場所の狭さが強調されつつ、広大な宇宙と対比されるのだ。そのうえで現実における子どもから大人への変化が、遥か宇宙へ旅する「虚ろ舟乗り」への変化に置き換えられている。極大化された世界観によって、成長というものとそれに伴う痛みも拡大して表現した青春エンタテインメントであり、醸し出される切なさも増幅されている。(えんどう・としあき=文芸評論家)★おんだ・りく=作家。著書に『六番目の小夜子』『夜のピクニック』『ユージニア』『中庭の出来事』『蜜峰と遠雷』など。一九六四年生。