――「毒入りチョコレート」殺人の謎をめぐる――千街晶之 / 文芸評論家・ミステリ評論家週刊読書人2020年4月17日号(3336号)欺瞞の殺意著 者:深木章子出版社:原書房ISBN13:978-4-562-05735-1年齢のことに言及するのは失礼であるのを承知で記すならば、二○一一年、『鬼畜の家』で第三回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞して作家デビューした時、深木章子は還暦を過ぎていた。そんな年齢など感じさせないほど著者のその後の活躍はエネルギッシュそのもので、二○二○年四月現在で十二冊のミステリを刊行しており、しかもすべてが一定以上の水準に達している。著者の作風の特色は、弁護士としての長年の経験で培われた、法律および現実の犯罪の知識なのは間違いないところだが、そこに本格ミステリの書き手としてのただならぬセンスが備わっている点に、著者の作家としての最大の強みが存在する。 そんな著者の最新刊『欺瞞の殺意』は、書簡体スタイルで描かれた、ある毒殺事件の謎をめぐる物語である。 昭和四十一年、Q県の資産家・楡家で事件が起きた。先代・伊一郎の法事のため一族や関係者が集まっている日に、伊一郎の長女・澤子が毒を盛られ、病院で死亡したのだ。更に、警察官の事情聴取の最中、今度は伊一郎の死んだ長男の忘れ形見である九歳の芳雄までが、チョコレートに仕込まれた毒で殺害された。澤子の夫で弁護士の治重の上着のポケットからチョコレートの銀紙の破片が発見され、犯行を認めた治重には無期懲役の有罪判決が下った。 物語の歯車は、この事件の四十二年後から本格的に廻りはじめる。平成二十年、仮釈放された治重は、事件関係者のうち今でも健在な、澤子の妹・橙子宛てに手紙を出す。そこには、澤子と芳雄を殺したのは自分ではないということが記されていた……。 ここから本書のほぼ四分の三くらいまでは、治重と橙子のあいだで交わされる手紙が紹介される。治重と橙子はかつて密かに愛し合っていた仲であり、治重が彼女宛てに手紙を出した理由もそれに関係していた。 往復書簡の中で繰り広げられる治重の推理、ミステリマニアである橙子の反論、更にそれに対する治重の再びの推理……と、二人のあいだの推理合戦は、どんどん火花を散らすような緊迫感を増してゆく。その過程において、事件は何通りにも解釈され、関係者のすべてが犯人候補として検討される。果たして真犯人は、その中の誰なのか。そして手紙のやりとりは、互いの本心の探り合いへと発展するのだ。 往復書簡のパートが途切れたところで、事件はまた新たな展開を見せる。そこで明らかになるのは、四十年以上の歳月を費やした、用意周到にしてスケールの大きなトリックだ。その背後に秘められた壮絶なまでの情念のドラマに、読者は茫然とするに違いない。 ……と紹介すると、もしかするとかなりドロドロした雰囲気の物語を想像してしまうかも知れないのだが、構成としてはコンパクトにまとまっていてスマートな印象だ。書簡体スタイルであることが、その印象の醸成に与っていることは間違いない。そして、記述のすべてが推理の伏線として機能しており、無駄がないのである。 書簡体ミステリの名作といえば、山田風太郎の「死者の呼び声」、井上ひさしの『十二人の手紙』、連城三紀彦の『明日という過去に』などが思い浮かぶけれども、本書はその系譜に連なる新たな収穫である。(せんがい・あきゆき=文芸評論家・ミステリ評論家)★みき・あきこ=作家。元弁護士。著書に『鬼畜の家』『螺旋の底』『消人屋敷の殺人』『消えた断章』『極上の罠をあなたに』など。一九四七年生。