ニュー・エイジ登場マーサ・ナカムラ / 詩人週刊読書人2021年3月26日号雨をよぶ灯台著 者:マーサ・ナカムラ出版社:思潮社ISBN13:978-4-7837-3691-2「読書感想文」という課題について。気を引き締めて書くより、提出期限が迫る中で自由気ままに書いた時の方が、読み手からの評価が高かったことが印象深い。 学生時代、『読書ノート』と表紙に印字された大理石色のB5ノートを持っていた。毎月十五日、リストから本を選び、ノートに読書感想文を書いて提出する決まりだった。分量は四百字詰め原稿用紙一枚程度ではあるが、作文に苦手意識を持っていた当時の私には毎度気分が重い課題だった。真っ白な帳面を開いた時、理想的な「良い」読書感想文像が全く結ばず、思わず頭も真っ白になる。夢中になって読んだ本も、閉じた瞬間から「さてどうしようか」と途方に暮れた。 先日実家の部屋を整理していると『読書ノート』が経年劣化により少し固くなって、引き出しの奥底から発掘されたのである。中学三年間のうちに、読書ノートを幾度となく紛失した私は数冊の読書ノートを所持しており、今回出てきたノートは中一から中三までをカバーした内容だったので驚いた。後ろの方に「何冊読書ノートを持っているの?」という先生からの赤ペンが入っていた。 入学当初は規則を絶対視する優等生だった。しかし、思春期に様々な憂いを経るにつれて変わっていった。何がなんでも、危険を冒してでも遅刻してはならないという思いから、駅の階段を駆け上がって転び、脛から血が出た。座りこんで次の電車を待ち、鉛のように重い鞄にもたれながら、何事にも全力で当たらなければ許せない自分に呆れた朝があった。それが、中学を卒業する頃には、降りるべき駅で寝たふりをしてわざと乗り過ごし、見慣れぬ窓の外の風景をうっとりと眺めるようになっていた。 今年三十歳という節目に、改めて当時の読書ノートを読む。すると、当時の変化の過程がはっきりと映っているように思えた。入学したての頃の読書感想文はマスいっぱいに角ばった大ぶりな字を一文字一文字力強く書き、今となってはあらすじすら覚えていない本について、「人生を変えるほどの衝撃を持った内容だった」と笑えるほど大袈裟なことを書いている。 その流れを変えたのは、トルストイ著「人にはどれだけの土地がいるか」の感想文だ。 読書ノートの帳面には、書名、著者名、訳者、出版社を書く欄が設けられているが、この辺りから訳者・出版社名の記載がなくなっている。これは、実際には本を手にとって読んでいないからである。提出期限が迫り焦った私は、読書感想文とは関係のない、たまたま手元にあった本に前述の本の一部が引用され、軽い解説が載っているのを見て、それを読んだことにして書いてしまった。身の丈に合わないほど広大な土地を欲した男が、最終的に自分の欲に殺されてしまう話である。 読書ノートが返却されるタイミングで、教壇に呼ばれ感想文を朗読するように言われた。晒しあげられて叱られるのかもしれないと震える心を抑えながら、一言も発しないクラスメイトの前に立つ。思わず息を呑む。「どうせつまらない文章だから」と小さく深呼吸をした。大きな声でなく、話しかけるように読み上げた。「大きな国の王様に、好きなだけ土地をプレゼントしてもらうことになったとして、まず私は日本の面積では足りないと思うだろう。主人公が最終的に必要となったのは埋葬のための体の大きさ程の土地だが、我が家は火葬だから、身長百五十センチ程もいらない」。すると、怖い顔をして聞いていたクラスメイトと教師がどっと笑った。感想文の最後には、「完全マーサ流である」という先生からの赤ペンが大きく入っていた。 この感想文を境に、読書ノートをつづる文字がどんどん丸く乱れていく。しかしながら、字の乱れに比例して、個性を思う存分表現するようになった。 読書感想文をきっかけに力を抜くことができるようになったのか、逆の時系列だったのかは分からない。しかしながら、ものを書く時あえて肩の力を抜いた経験が、今の文筆活動に繫がっているとは思う。 萩原朔太郎賞受賞記念として、五月三十日まで前橋文学館でマーサ・ナカムラ展が行われている。ここに、私の読書ノートの一冊が展示されている。開いてあるページは、ダブルAの評価がされた箇所である。機会があれば、ぜひお越しください。★マーサ・ナカムラ=詩人。早稲田大学文化構想学部卒。第54回現代詩手帖賞、第一詩集『狸の匣』で第23回中原中也賞、第二詩集『雨をよぶ灯台』で第28回萩原朔太郎賞を受賞。