――下劣さ、嗜虐性、破壊衝動、放談と咆哮と放屁まで――青木淳悟 / 作家週刊読書人2021年11月26日号八月のくず 平山夢明短編集著 者:平山夢明出版社:光文社ISBN13:978-4-334-91424-0 読んでいて異様に燃える本がある。理由は一口に言えないが、この異色な短篇集がまさにそうした熱中を誘う類のものだった。奇譚・怪談・活劇・SFと、あえていま本短篇集のレパートリーをあれこれ思い浮かべてみるものの、読中の「分類不能なものと接した」感触のほうがずっと印象深い。と、各ストーリーの急展開ぶりに奈落の底に突き落とされつつ、ただそれら奇怪な物語群に身を委ねてまた次、また次と読み進めていく。 本書を通じて自分がいかに歪なものに惹かれるかを自認させられた。偏愛といわれようと好きなものは好きなのだ。ちなみに本書収録十作のうち七作までが、光文社文庫のアンソロジーシリーズ『異形コレクション』の各巻に書き下ろされた短篇だ。過剰と逸脱とアブノーマルと。ただしその歪さを愛でるというだけでは、単なる恐いもの見たさで興味本位に見世物小屋を覗くのと変わらないだろう。 もっとハマる要素が他にある……そんな確信を抱きつつ右手の親指で頁を繰るのだが、というより「地下レス」で派手に負傷しては超人的な回復ぶりを示す格闘家の物語(「ふじみのちょんぼ」)を辿ろうとしていたとき、その利き手親指の先端に(私事ながら)若干の問題を抱えていたのを不意に思い出した。 以下、少々説明しますと……先日自宅の壁のシール痕を剝がそうと深爪なのに無理をしたら親指の先端がうっすら赤らみ、おそらく一ミリ程度爪を剝離させたのだ。大したケガでもなさそうで指先が物に触れる度に痛んで仕方なく、結果何だかんだと四六時中悩まされることに(家事はおろかミカンの皮を剝くにも床の毛を拾うにも痛いものは痛い!)。爪をぱっくり剝がしたわけでもないのに……と一瞬、妄想して恐怖する。(妄想)生爪を一枚一枚剝がされるアレも、爪の間に針などを差し込まれるアレもさぞや痛かろう。またもし自分が登板予定のプロ野球投手だったら、裏カジノの腕利きディーラーだったら、それとも「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」を標榜するような神業指圧師だったら、数日間は休業を余儀なくされていたやもしれない(幸い本業の小説家としては「景気よくスペースキーを叩けない」程度の被害で済んだ)(あとお札は数えられますが小銭が扱い辛いです……)。 爪を見ながらつくづく思う。わずかこの程度の不調で生活に支障が出ようとは、訳もなく頭脳を疲弊させ易々と気を奪われてしまうとは、肉体とは何と不自由で面倒臭いものなのかと。だが逆に言えばそんなふうにいちいち振りまわされてしまうのが人間なのかもしれない、とも。 ここで急いで作品に立ち返ると、人物描写としてもとりわけ身体を軸にした緻密な描写に凄味があり、そのリアリティーが心を捕らえて離さない。肉体にまで切り詰められたひりひりとした感覚とともに、例えば下劣さとか嗜虐性とか破壊衝動、強烈で独特なオノマトペ、放談と咆哮と放屁までを味わわせてくれる。化け物じみたものも出てくるが、その意味で卑近な人間臭さを感じさせる「分類不能な」作品集だった。 そしてやはりここが肝要なのかもしれないが、作劇の面からしっかりと読者をエンターテインしてくれる。起承転結というより序破急の呼吸で筋運びが弛むことはない。にもかかわらずというべきか、人物の性格づけなり世界観が全体としてもの凄く「歪んで」いるのだ。「もっともっと飯を食って糞したい」「あたいは丼億万杯ひり出すんだ」などと宣う「餌江。」という名の小学二年の少女にも、凄まじい境遇から淫売稼業に入った「グレートマザー」にも、それら独特で尊い存在にたちまち魅惑されてしまう自分がいる。 先の超人的格闘家の物語でもまた、得体の知れない人物像から目が離せなくなる。「これはいったい何なのか?」、とにかく個性的なキャラクターどころの話ではないのだ。何事も不明なまま頁は進み、やがて主人公がラストに見せる、あの劇的で美しい肉体のポーズに出会った。(あおき・じゅんご=作家)★ひらやま・ゆめあき=作家。二〇〇六年「独白するユニバーサル横メルカトル」で日本推理作家協会賞、二〇一〇年『ダイナー』で日本冒険小説大賞と大藪春彦賞。一九六一年生。