――六〇年以上にわたる活動の軌跡を丹念に追う――内野儀 / 学習院女子大学教授・表象文化論・舞台芸術論週刊読書人2021年11月19日号演劇で〈世界〉を変える 鈴木忠志論著 者:菅孝行出版社:航思社ISBN13:978-4-906738-45-8 ここのところ演出家・鈴木忠志(一九三九~)についての単行本が次々刊行されている。二〇一九年には渡辺保『演出家鈴木忠志―その思想と作品』(岩波書店)、そして今年に入ってからは、杉田欣次・向井嘉之『鈴木忠志と利賀村―世界演劇の地平へ』(能登印刷出版部)、さらに長らく鈴木の仕事を見てきた菅孝行(一九三九~)による本書である。「あとがき」にもあるように、主として渡辺の著書との関係性を意識して、菅はまず雑誌連載を始めている(杉田らによる著書はまだ刊行されていない)。つまり、渡辺の本が「舞台上の造形を論じることを核に構想されているのに対して、鈴木忠志のセオリーと舞台の関係、歴史的背景と舞台表現の関係、芸術監督としての業績が意味するもの」を論じることにした、という。そして、菅が明らかにしたかったのは以下のような鈴木の達成である。 常に卓越したテクスト解釈と舞台の造形を提示し続けてきたこと、俳優の造形に不可欠のトレーニング・メソッドを作りあげたこと、集団としての身体表象に不可欠の劇団専用の劇場を自らの手で保証し続けてきたこと、公共劇場のシステムのプロトタイプを作り出し、自ら運営することに成功したこと、それらすべてをなし遂げたことによって、世界演劇の最先端の水準にあること(以下略)(二八五頁) そして、ここにあるとおり本書では、舞台にとどまらない鈴木の多彩な活動についての緻密な記述が、理論的な分析から歴史的位置づけまで、鈴木演出作品の的確な分析・紹介や刺激的な解読を縦横無尽にまじえながら、進められる。いわゆるアングラ演劇の旗手としての鈴木の仕事はその出発点にあるだけで、その後の展開について、鈴木演劇の進化と深化について、本書は多方面から広く、浅く、狭く、深く、語っていくのである。 著者の強みはなにより、鈴木に寄り添うのではなく、時に対立する立場に立った場合を含め、自在にその距離を変化させつつも、鈴木と向き合いつづけたことにある。鈴木の演劇を見なくなった時期について、なぜそうだったのかが語られ、そしてまた、なぜまた見るようになったのか、その理由が理論的に説明される。 もちろん菅は、戦後日本を代表する知識人のひとりであり、きわめて冷静な知的良識の持ち主なので、鈴木演劇のような「世界演劇の最先端」がすべてではないと、繰り返し注意を喚起している。ただし、ナンデモアリ、ということではない。日本演劇には四つの範疇があり、それらは「世界を解読する思想(魂)と技芸の質が問われる「純粋芸術」」。「大衆芸術」、すなわち「市場の演劇」。さらに様々な意味で人びとに必要とされる「限界芸術」としての演劇。そして最後に、このどれにも属さない演劇で、日本の業界の演劇の大半がここに属すると菅はしている(一六九頁)。これが、「絶対に譲れない評価の基準」(一六八頁)であり、鈴木の演劇はしたがって「純粋芸術」の代表格となる。この四つの範疇のほかにも、菅はなぜ鈴木を評価するのかについて、別角度からの基準も複数提出している。そしてそのどれにも、論理的整合性がある。 西洋古典の演出に向かうことで、「アングラ」あるいは「六〇年代演劇」から「離脱」を果たした鈴木は、富山県利賀村での世界演劇祭開催(一九八二)といった華々しい活躍、さらに、水戸芸術館・静岡芸術劇場というふたつの公共劇場での運営にかかるロールモデル構築的活動に向かう。この過程で、ゼロ年代には「歌謡曲演劇」(一七八頁)と菅が呼ぶいわゆる昭和歌謡を多用した独自の作品群も登場し、一〇年代には、再び利賀村を本拠とした活動が中心となり、二〇一九年に利賀村とサンクトペテルブルクで開催された第九回シアターオリンピックスにいたる。そして直近の鈴木の演出家としての特質は、第四章のタイトルにあるように、「ニッポンジンと向き合う」ことにある、と菅は論じていく。 六〇年以上にわたる鈴木の活動の軌跡を菅はこのように丹念に追いかけ、批評的に分析し、解説する。鈴木忠志の演劇に詳しい読者も、あまり詳しくない読者も同様に、舞台写真を多数使い、さらに各章と対応した充実した年表を最後に備える本書は、「鈴木忠志(再)入門」として、常に参照されるべき著作になるだろうことはまちがいない。(うちの・ただし=学習院女子大学教授・表象文化論・舞台芸術論)★かん・たかゆき=評論家・劇作家。著書に『戦う演劇人』『天皇制と闘うとはどういうことか』『三島由紀夫と天皇』など。一九三九年生。