『アマディス・デ・ガウラ』が描く愛と苦悩、許しと和解岡本淳子 / 大阪大学大学院准教授・スペイン演劇週刊読書人2020年11月13日号アマディス・デ・ガウラ 上著 者:ガルシ・ロドリゲス・デ・モンタルボ出版社:彩流社ISBN13:978-4-7791-2628-4 スペイン文学史上、極めて重要な作品であり、中世の騎士道物語を代表する『アマディス・デ・ガウラ』の待望の邦訳が出た。セルバンテスの『ドン・キホーテ』を理解するには『アマディス・デ・ガウラ』を読むことが必須であると言っても過言ではない。何よりもまず、第四巻におよぶこの大著の翻訳を完成させた岩根圀和氏の根気と労力に心からの敬意を表したい。 ガウラの国王の息子でありながら、ある事情から産後すぐに海に流され、スコットランド王の家臣の息子として養育されたアマディスが主人公である。本作は二つのテーマを軸に物語が展開する。一つは武術において他の追随を許さない容姿端麗の騎士アマディスの冒険であり、もう一つは彼の想い姫である知性と素晴らしい美貌を持ち合わせたオリアナとのロマンスである。 本作の一番の魅力はアマディスの人間性とその様々な人間関係ではないだろうか。アマディスと二人の兄、実父ペリオン王、そして従者ガンダリンとの揺るぎない信頼関係は見ていて清々しいし、他の騎士たちとの友情にも胸が熱くなる。注目すべきはアマディスが時として敵を許し、彼らを味方にするほどの人間力を持っていることだ。 輝かしい武勲をたてる騎士アマディスが、オリアナ姫のこととなると途端に情けない男になってしまうのも面白い。勘違いをしたオリアナから残酷な手紙を受け取った時には、「滂沱と涙が溢れ、魂はすでに肉体を離れたかのように千々に砕けて意識は遠のいて心ここにあらず、深々とため息を吐き、豪胆さも理性も過酷な死に至る歯止めとはならなかった」。そして、人里離れた岩山で出会った修道士に、「惚れたの腫れたのと婦人にからんだ世迷い事」で「自ら死んだり滅んだりしてはなりません」と諌められる。アマディスはガウラ滞在中にオリアナから決して冒険に出ないように頼まれる。様々な地で困っている弱き者を助けてこそ勇敢な遍歴の騎士であるため、次第にアマディスは臆病者と後ろ指を指されるようになる。恋人の望むとおりにするか、騎士としての名誉を挽回するかで悶々と思い悩むアマディスに超人らしからぬ人間臭さを感じる。 それにしても中世の男はよく泣く。アマディスは悲しくても嬉しくても本当によく泣き、「嗚咽を漏らし、深々とむせび泣くばかり」という場面もある。アマディスの従兄のアグラヘス、従者ガンダリン、そして国王にさえも「滂沱と涙が溢れる」。感情表現の誇張という点では、後のロマン主義文学にも影響を与えているだろう。 騎士道物語は男性中心の世界であり、女性は男性に守られるべき弱い存在として描かれると考えていた。それは間違いだった。「無法と屈辱に苦しむ婦人や乙女を救う」騎士の心意気を逆手にとって、しばしば女性が困っている振りをして国王や騎士を罠にはめるのである。また、騎士の一行が進んでいる時に、危険が待ち受けていると忠告したり、「不動の島」に案内したりする重要な役目を女性が担う。娘オリアナを強制的にローマ王に嫁がせようとするリスアルテ王に対して、「この世の誰よりも栄光と名声を享受された当初の日々へ晩年の日々をお戻しください」と苦言を呈するのも侍女なのである。 魔法使いや巨人が登場するので荒唐無稽な物語かと思いきや、そうでもない。魔法使いのアルカウラスは戦でむやみに魔法を使うことはなく、騎士としての振る舞いをわきまえている。巨人バランは気品ある母親の養育と教育のお蔭で温和で控えめな人間に育っており、アマディスにも信頼されている。悪魔島にいる獰猛な獣は、巨人である父とその娘の近親相姦および母親殺しの罪が生みだした怪物であり、悲しい過去の過ちの産物なのである。 下巻の山場はローマ軍との大戦であるが、凄まじい戦の模様が描かれるだけではない。「ひとまず停戦を結んで怪我人の手当と、死者の埋葬を行うべきだと双方ともがおなじように考えた」のであり、戦う騎士たちが人として尊重されている。そしてペリオン王は騎士たちを集めて言う。「敵はこちらが同意するなら、名誉はともかく道義にもとづいて和睦を求めている。そのために双方から代表を選び、敵意を捨てて穏やかな気持ちを持って談合に入りたいとの要求である。」現在戦争をしている国々の代表から聞きたい言葉である。(岩根圀和訳)(おかもと・じゅんこ=大阪大学大学院准教授・スペイン演劇)★ガルシ・ロドリゲス・デ・モンタルボ(一四五〇頃?―一五〇五)=『アマディス・デ・ガウラ』著者。詳細は分かっていない。★いわね・くにかず=神奈川大学名誉教授・スペイン文学者。著書に『贋作ドン・キホーテ』『物語 スペインの歴史』など。一九四五年生。