書評キャンパス―大学生がススメる本― 橋本頼 / 獨協大学外国語学部2年 週刊読書人2022年4月22日号 ハーモニー 著 者:伊藤計劃 出版社:早川書房 ISBN13:978-4-15-031166-7 『ハーモニー』という題名は、この物語にとって唯一のものだ。ただし主人公らはむしろ真逆の「不調和」として存在し、それ故に「ハーモニー」という命題が浮き彫りになる小説でもある。 各種メディアが取り上げる世界情勢を見聞きする中、筆者はこう感じることが増えた。戦争なんてなければいいのに、と。 このSF小説において人々は、過去に勃発した世界規模の戦争の教訓から、ある種極端な再発防止策をとっている。それは戦争どころか後天的な病すらない社会。誰もが健全に、穏やかに、常に善意をもって助け合い、慈しみあう社会。つまり現代の福祉社会の掲げる理想、平和の最果てと言っても過言ではない。だがその社会の有様に違和感をもつ主人公は、不調和こそを寄って立つ場としている。 それは彼女、トァンがまだ大人になる前にその時間を共にした、ミァハという少女の存在が起因している。社会の内部が圧倒的なまでに協調された中で、ミァハだけが真っ向から反旗を翻したジャンヌダルクだった。そんな彼女に選ばれ、感化されたからこそ、主人公トァンもアウトサイダーになることを決意する。だがそれに失敗したことで、彼女は社会を嫌悪しながらも、やはりその中で生きるという選択をとり続けている。 ミァハに加えてもう一人、キアンという少女も含めた三人が子供時代の主な登場人物達なのだが、ミァハが革新派なら、キアンは保守派だろう。主人公が自ら意識するのはミァハだが、二人の傍にはキアンも常にいて、ミァハ、キアン、そして主人公は調和のとれた社会にそれぞれのアプローチをとりながら、13年の時を経て、形を変えて再会することになる。そして、そこからが主人公自らの意志を形成し確立するプロセスの始まりでもある。 この小説には、完璧に調和のとれた人間社会とは?という著者自身の問いとその答えがある。人間という種族にたいして、社会自然学、脳神経科学、進化心理学などを統合した視点から最も効率的、合理的かつ矛盾のない、調和のとれた進化を著者自身が模索しているのだ。種としての機能と、人間が人間故に持つ機能。その二つの摩擦をすり合わせた進化の先が物語の結末であり、そうした意味では文章を味わう以上にその世界観、ロジックによる面白さが勝る作品とも言える。 極端に完成された社会と、そこにいる人々が映し出す有様は、今を生きる我々にとっても充分鋭い問いかけとなるアレゴリー足りえる。病による苦痛はない。怪我をしてもすぐに治る。だがそれは生の実感をもたらす要素を取り除く行為であり、死と生の境界を曖昧にせんとする試みでもある。だからこそ、主人公らの自傷的な行動はむしろ彼女らの生を主張し、自分の生に責任を持ちたいという自主独立精神の表れ、もしくは個人主義者のそれとも解釈できる。 ここで最初のつぶやきに戻ってみたい。戦争なんてなければいいのに。本小説では物語の進行と共に、「戦争のない世界」の模索が更なる変遷をたどり、最終的に人類がもう一歩先へ進化を遂げるところまでが描かれている。 生物が生きるとは何かという前提を踏まえた上で、調和のとれた理想の世界を考えた、その答えの一つが、『ハーモニー』にはある。★はしもと・らい=獨協大学外国語学部2年。自然、特に人為が少ない場所で身体を動かすのが大好き。常識や法、道徳にあらゆる視点で肯定と否定を思う。読書を習慣にしたい。