物語、作者、読者それぞれの関係性に思いを馳せる 若林踏 / 書評家 週刊読書人2022年4月22日号 ロング・アフタヌーン 著 者:葉真中顕 出版社:中央公論新社 ISBN13:978-4-12-005511-9 物語が読み手の人生を変えることがあれば、読み手が物語の紡ぎ手の運命を変えることもある。葉真中顕『ロング・アフタヌーン』は、そうした読者と作者の関係について思いを巡らせる小説である。 本書には、作中作が二つ収められている。一つは「犬を飼う」という短編小説だ。この作品は「小説新央短編賞」という新人賞の最終候補作に残った応募作である。作者の名前は志村多恵、応募原稿に付されたプロフィールによれば五〇歳の主婦だという。二次選考までの段階で原稿を読んだ新央出版社の編集者、葛城梨帆は「犬を飼う」を高く評価し、この作品に惚れ込んでいた。ところが最終選考において、「犬を飼う」は酷評を受けた上に落選してしまう。最終選考委員の作家曰く、「下品で不愉快」「男性嫌悪が滲み出ちゃっている」と。葛城梨帆が落選の報を志村多恵に電話で伝えると、受話器の向こうから沈んだ声が返ってきた。以来、志村多恵が小説を新央出版に送って来ることはなかった。「犬を飼う」の落選から七年後、ビジネス書や新書を担当する部署に配属されていた葛城梨帆の元に、〈小説原稿在中〉と書かれた封筒が届く。差出人の名前は志村多恵で、封筒の中には「長い午後」と題された小説が入っていた。 この「長い午後」が、二つ目の作中作である。ここから「長い午後」と、それを読む葛城梨帆の日常生活が交互に描かれる形で本書は進んでいく。「長い午後」は五〇歳の主婦である〝私〟が語り手を務める小説なのだが、主人公の設定や年代描写から考えると、どうやら「犬を飼う」を応募した当時の志村多恵自身をモデルにした物語ではないかと葛城梨帆は気付くのだ。 編集者が小説や原稿を読む形で作中作が進行する、という展開はこれまでも多くの作品で書かれてきた。本書が特徴的なのは、編集者である葛城梨帆の身辺と「長い午後」の〝私〟の境遇が、次第に共鳴し始めることだ。「長い午後」では、〝私〟が学生時代の友人である柴崎亜里沙と再会する場面が描かれる。柴崎亜里沙の存在によって、〝私〟はそれまで自分を縛りあげていたものに目を向け始めるのだが、それと呼応するように「長い午後」を読んでいる葛城梨帆も、実は〝私〟と同じような抑圧のなかで生きていることが明かされていく。 一九八六年生まれの葛城梨帆と「長い午後」に登場する〝私〟には年代の隔たりがある。にも拘らず〝私〟を苦しめるものは、葛城梨帆を苦しめているものと重なる部分が多いのだ。ひとつの小説を媒介として、女性を雁字搦めにするものが年月を経ても変わらないことを本書はあぶり出す。同時に作中作と葛城梨帆の日常を往還する中に、作者は驚きをもたらすための仕掛けを忍ばせているのだ。 本書は、編集者の視点から見た業界内幕小説としての側面も持っている。葛城梨帆はもともと小説の編集を希望して新央出版に入社したが、会社が文芸部門からの撤退を決めたために、止む無く新書・ノンフィクションの部門に異動させられてしまう。そこで葛城梨帆は作家と編集者の関わりにおいて、後ろめたい思いを引き摺るような経験をするのだ。出版物は誰のためにあるものなのか。物語を作っているのは、本当に作者なのか。そうした問いが『ロング・アフタヌーン』という作品の中で、繰り返し提示される。幕切れ直前に放たれる鮮烈な言葉は、その問いに対する一つの答えだろう。(わかばやし・ふみ=書評家)★はまなか・あき=作家。著書に『ロスト・ケア』『そして、海の泡になる』『灼熱』など。一九七六年生。