見えない敵の姿を追い求める知的活動 上田早夕里 / 作家 週刊読書人2022年4月22日号 小鳥と狼のゲーム Uボートに勝利した海軍婦人部隊と秘密のゲーム 著 者:サイモン・パーキン 出版社:東京創元社 ISBN13:978-4-488-00396-8 第二次世界大戦が始まった一九三九年以降、イギリスはナチス・ドイツの潜水艦(Uボート)による通商破壊によって食糧難と物資不足に陥った。大西洋を渡る商船が次々とUボートからの魚雷攻撃で沈没し、国内生産だけでは国民の飢えを満たせなくなったのだ。このままでは全国民が栄養失調と窮乏に倒れ、降伏せざるを得ない。イギリスは、第一次世界大戦では自らが海上封鎖を行って敵国への輸入路を断ち、ドイツ都市部に深刻な飢餓を引き起こしている。そのイギリスが、今度は同じ危機に直面してしまったのである。 ドイツが、これほどの戦果をあげたことには理由がある。ドイツ海軍の潜水艦隊司令長官であり、のちに海軍総司令官にも任命されたカール・デーニッツ少将は、まったく新しいUボートの運用方法を自ら考案し、今回の戦争にこれを用いた。Uボート一隻のみで船団を攻撃するのではなく、複数の艦を無線で集結させ、船団に対して一斉攻撃を行うようにと指示したのだ。この戦術は、狼が群れで狩りをする様子に似ていることから「群狼作戦」と名づけられた。 追い詰められたイギリスは、大西洋での劣勢を覆すべく、さまざまな対抗策を立てた。その多くは、第一次世界大戦から飛躍的に発達を遂げた科学技術を投入する方法だったが、これらとは別の手法に光を見出した人々がいる。ウォーゲームを基にした戦略シミュレーションによってUボートの位置と動きを想定し、どのような対処を行えば船団を沈められずに済むか、また、どのように行動すればUボートを撃沈できるか、その答えを導き出すべく試行錯誤を始めたのだ。この任務を率いたのは、病気でイギリス海軍から退いていたギルバート・ロバーツ中佐。そして、それを支えたイギリス海軍婦人部隊の女性隊員たち。部隊の女性指導者ヴェラ・ロートン・マシューズは、この婦人部隊を、小鳥の名前からとって「WRENS」(ミソサザイの意味。若い女性を指す言葉でもある)と名づけた。彼らの任務は極秘扱いで、リヴァプールの海軍施設内で密かに練られていった。かくして「小鳥」と「群狼」は、お互いの存在を知らぬまま、両者の作戦が激突することとなる一九四三年五月の死闘になだれ込んでいく。 本書では、史料がほとんど残っていない女性隊員たちとロバーツ中佐の活躍が、関係者の証言や歴史的事実の積み重ねによって語られる。それは忘却されつつあるものを、記録という名の一本の線で取り囲み、その輪郭線によって、事実そのものの形を鮮やかに甦らせようとする試みである。あたかもそれはロバーツ中佐と海軍婦人部隊の面々が、海面下に潜む見えない敵の姿を追い求めた知的活動と相似形のようだ――とも言えるのではあるまいか。護衛艦の艦長たちは、しばしばこの海軍施設を訪れ、ロバーツ中佐と女性隊員たちから対Uボート戦術に関する指導を受けた。海戦の現場にも出ないおまえたちに何がわかると偉ぶっていた者が、新しい思考方法を提示された瞬間、目を見張って受け入れていく過程は感動的ですらある。よきリーダーとは、誰の言葉であってもよく聴き、先入観に囚われずに柔軟な発想転換を行うべきだ――というお手本のような逸話だ。 巻末の解説で考証家の重力堂信光氏が言及しているポール・ケネディ『第二次世界大戦 影の主役』(日本経済新聞出版)にも詳しい記述があるが、大西洋での対Uボート戦でイギリスを勝利に導いた魔法のような一打は存在しない。背水の陣を余儀なくされたイギリスが、科学技術にものを言わせて新しい機器や新兵器(レーダー、爆雷、哨戒用長距離爆撃機、護衛空母、等)を開発し、それらを一斉にこの海域に投入して運用できたことが、結果的にイギリスを危機から救っている。ロバーツ中佐と海軍婦人部隊の働きはその試行錯誤のひとつであり、これだけが突出して効果があったわけではない。 しかし、独自の対潜戦術を編み出し、護衛艦の軍人たちに発想の転換を促し、多くの女性を一人前の「人間」としてこの任務に関わらせたことなど、見るべき点は多い。にもかかわらず、この歴史がイギリス近代史から消されかけていた事実は、私たちに多くの示唆を与えてくれる。果たして現在の私たちは、残すべき歴史を後世に残せているだろうか。人生を懸けて闘った人たちの記録を、片端から消し去ろうとしていないか。(野口百合子訳)(うえだ・さゆり=作家)★サイモン・パーキン=英国出身のジャーナリスト・作家。「ニューヨーカー」「ガーディアン」などで活躍後、ノンフィクション作品を発表。