社会構造が大きく変化するただ中で考える 増田ユリヤ / ジャーナリスト 週刊読書人2022年5月6日号 頭 手 心 偏った能力主義への挑戦と必要不可欠な仕事の未来 著 者:デイヴィッド・グッドハート 出版社:実業之日本社 ISBN13:978-4-408-33977-1 本書が執筆されたのは、二〇一九年。コロナ禍が始まる前である。著者のグッドハート氏は、現代における仕事を「頭(認知能力を生かした仕事)」「手(肉体労働や手仕事)」「心(人の世話をする仕事=ケア労働)」の三つに分類。特にこの六〇年間は、「頭」の仕事ばかりが過剰な恩恵を求めることを可能にする一方、「手」「心」の仕事は威厳も報酬も減少した。一部の実力者は栄えたが、その他大勢の人々が居場所や生きる意味を失ったのではないか。だから、その地位をできるだけ正常な状態に戻すにはどうしたらいいか、という問いから本書は始まる。 著者は、英国のジャーナリスト。そのため、英国の具体的な実例やデータをもとに、長年日本にいる私たちも薄々気付いてはいたが、放置してきた「頭 手 心」の仕事の評価や社会的地位、賃金格差といった問題に対して、自身の考えで次々に切り込んでいく。 コロナ禍以前に書かれた、と断ったのは、新型ウイルスを前に生活が一変した世界の中で、良くも悪くも、仕事の意味や取り組み方について、改めて見直さざるを得ない状況が生まれたからだ。ドイツのメルケル前首相が、医療従事者はもとより、スーパーの店員やバスの運転手、家庭ごみの取集作業員など、いわゆるエッセンシャルワーカーたちに感謝の意を伝えたスピーチは、政治家としてだけでなく生活者としての実感がこもっていて、多くの人々の心にしみ入った。コロナ禍に見舞われなかったら、日常生活に必要不可欠な仕事でありながら日の目を見ることのなかった人たちの存在に、感謝の気持ちを強くすることなどなかったのではないか。大学卒業(か、それ以上)という表向きの資格だけで人の能力を評価し、学歴こそが就職にも有利にはたらき、高い収入が保障される、という価値観が長く続いた結果、今の時代にもっとも必要とされている看護や介護の仕事が低賃金のまま、慢性的な人材不足に陥っている。英国の状況や欧米との比較をみても決して他人事ではなく、もちろん日本にも当てはまる問題である。 ただ、複雑なのは、「頭」で解決策を考えたところで、現状の問題が解決するかといえば、必ずしもそうではない点だ。英国では、二〇一三年に看護職が大卒資格の仕事となった。それが患者の罹患率や死亡率に関してよりよい結果を生み出す、と評価する向きもある。しかし、全体の六割が非大卒である看護職の仕事の効果を上げるのは、賃金を上げることでも大学卒業資格を得ることでもなく、例えば、ひとりの看護師が担当する病床数を一五床から三床に下げることにほかならない。そうすれば、当たり前のことであるが、患者に対して「頭も手も心も」行き届いたきめ細やかな対応ができる。残念ながら現状では、大卒資格が看護職の賃金アップに大きく影響しているとも言えない。 また、医療機器の進歩や充実は、病気の診断や治療時間の短縮につながり、医療現場の負担軽減になったようにもみえるが、患者と向き合う時間が減ったことで、その人自身が今、何を望んでいるのか、というところに配慮し、対応することができなくなった側面もある。そうしたことも、この課題解決が一筋縄ではいかない、悩ましい部分である。心も頭も手も使う仕事だというのに、収入も社会的地位も低いままの看護や介護の職の未来をどう改善していくべきなのか。 そのほか、「手」の仕事であり、いわゆる3Kの代表のように言われる配管工も、なり手不足で移民の労働力に頼る部分も大きい。実際、一般企業で働く大卒の人より高収入につながる仕事になってはいるが、学歴がないことで社会的には得も言われぬ疎外感を味わうという。とはいえ、もはや学歴だけでは生きられない世の中だということを今回のパンデミックは教えてくれた。しかし、残念ながら、明快な解決策が本書から導き出されているわけではない。言えるのは、「頭 手 心」この三つのバランスが取れた社会を目指すこと。万人が平等にお金持ちにならずとも、衣食住が満たされ、生きがいにつながる仕事に就くことができれば、社会の分断は解消されるのではないか。社会構造の変化のただ中でコロナ禍を経験した今こそが、著者のいう「偏った能力主義への挑戦」に絶好の機会なのではないか。(外村次郎訳)(ますだ・ゆりや=ジャーナリスト)★デイヴィッド・グッドハート=イギリスのジャーナリスト。一九五六年生。