そしてシリアの青年は亡命先でベストセラー作家になった 西口拓子 / 早稲田大学理工学術院教授・ドイツ文学 週刊読書人2022年5月6日号 ぼくはただ、物語を書きたかった。 著 者:ラフィク・シャミ 出版社:西村書店 ISBN13:978-4-86706-028-5 ラフィク・シャミをひとことで紹介するなら、現代ドイツのベストセラー作家だろう。ただし、生まれたのはシリアで、母語はドイツ語でない。大学卒業後にドイツに亡命した時点では、ドイツ語は片言程度だったという。本書は、シャミがフランクフルト国際空港に降り立った瞬間から始まる自伝的エッセイ集である。ハイデルベルク大学で化学の博士号を取得し、「大きな製薬会社での安定した給料のいい仕事」を手に入れる。それを「ただ、物語を書きたかった」という理由で、退職するか否か、上司とのやりとりも味わい深い。 これまでも、作品に自伝的要素やアラブの独裁制への批判も盛り込んできたが、あくまでもフィクションであり、ふんだんにユーモアを盛り込むことでバランスが取られていた。本書では、シャミが得意とするユーモアは抑え気味で(とはいえ言葉の端々に感じられるのだが)深刻なテーマに正面から向き合っている。ドイツでの四五年(原著は二〇一七年刊行)は決して楽なものではなく、人種差別的な経験についても触れる。「平静に楽しげにまとめながら」語っているとの留保を付け、深刻になりすぎないよう配慮もしながら。 世界で三十以上の言語に翻訳されてきたシャミ作品の舞台として頻繁に登場するのは、シリアのダマスカスと近郊のマルーラ村である。キリスト教徒の住むマルーラは両親のふるさとで、シャミは一家で夏を過ごしていたという。大多数がイスラム教徒の国でキリスト教徒で、ふるさとにいた時から「マイノリティー」だったのだ。 マルーラは有名な観光地で、二〇〇九年に私が訪れた際も多くの観光客でにぎわうのどかな村であった。ところが二〇一一年以降の内戦での被害は深刻で、破壊された修道院の痛々しい姿が日本の新聞紙上にも掲載された。この悲劇に関しては、本書では言及していないが、しないというよりはできないのかもしれない。今後の作品に、ふるさとはどのように描かれるのだろうか。その修道院は、キリスト教の世界最古の教会施設の一つと紹介されるもので、シャミの『マルーラの村の物語』(一九八七年)の下敷きとなった昔話の聞き書きを行った研究者たちが寝泊まりした場所でもある。 とりわけ秋が美しいダマスカスと、のどかなマルーラ村。その風景は過去のものとなってしまい、シャミには帰郷できる見通しはない。「自分の国に戻るのを許されないこと」は、予期せぬアクチュアリティを得ることになった。ウクライナからの難民の思いに重ねて、本書が二〇二二年三月には日本の新聞の一面コラムで言及された。またコロナ禍において、ふるさとに戻れず家族に会えないという状況に置かれた我々、とりわけ海外在住の人々の気持ちにも通ずるものがある。 とはいえシャミは、辛辣な政権批判を行っており、帰国できる見込みが全くない。それは単なる誇張で実際には帰れるのではないか、という他人の言葉がさらに追い打ちをかける。 本書で言及される初期の代表作『片手いっぱいの星』(一九八七年)は、若い読者向けの本だが、「このなかですでに、二〇一一年の反乱につながるシリアの窮状について報告している」と振り返っているように、独裁政権下で生きる人々が口をつぐむようになる過程も描き出している。『愛の裏側は闇』(二〇〇四年)の軸となるのは濃厚なラブロマンスだが、独裁政権下の拷問などのグロテスクな現実や「部族」の問題も描き出す。邦訳では三巻の長編だが、本書によれば「十回書き直した」そうだ。 さて、片言のドイツ語を、どのようにしてベストセラーを連発するレベルにまで上達させたのか、これまで多くの人の好奇心を搔き立ててきたことだろう。作家としての「成功の秘訣」も同様である。どちらに対しても、シャミは真摯な答えを本書で披露してくれている。実際に成功するには、長編を十回書き直すくらいの粘り強さが大前提となりそうであるが。(松永美穂訳)(にしぐち・ひろこ=早稲田大学理工学術院教授・ドイツ文学)★ラフィク・シャミ=作家。シリアのダマスカス生まれ。亡命後一九七一年よりドイツ在住。著書に世界一五〇万部のベストセラー『夜の語り部』、『空飛ぶ木』『言葉の色彩と魔法』など。『片手いっぱいの星』でチューリヒ児童文学賞、ドイツ語を母語としないドイツ語作家に贈られるシャミッソー賞、忘却に抗し民主主義を支援する文学に対して贈られるゲオルク・グラーザー賞などを受賞。一九四六年生。