書評キャンパス―大学生がススメる本― 伊藤遥香 / 武蔵野大学文学部日本文学文化学科3年 週刊読書人2022年5月13日号 消滅世界 著 者:村田沙耶香 出版社:河出書房新社 ISBN13:978-4-309-41621-2 私は村田沙耶香さんの作品を読む行為を、読書ではなく、「摂取」だと思い込んでいる。脳内に文字が入ってくるというより、一行一行を迎え入れる感覚の方が近い。『消滅世界』は、私が初めて摂取した村田さんの作品だった。「アダムとイブの逆って、どう思う?」という冒頭のセリフに、否が応にも作品世界に引き込まれる。そして一度摂取したら止まらなくなる展開が、息つく間もなく襲いかかる。 作品の舞台は、人口受精があたりまえとなった世界だ。加えて、夫婦間の性行為が近親相姦として位置づけられており、八割の人間が性欲を一人で処理している。しかし、両親が愛し合った末に生まれた主人公の雨音は、キャラクターたちだけでなく夫以外のヒトとのセックスを繰り返している。独特な世界観に圧倒されて、距離を取りたくなる人もいるかもしれない。私自身もあまりに生々しい人物描写や価値観の相違に、読んでいて気分が悪くなる場面もある。しかし、気持ち悪いと思っても、価値観に拒絶観をもっても、どこかで「一理ある」と腑に落ちてしまう。そう感じるのは、登場人物たちが持っている考えを少なからず心の奥底で抱えているからなのだと思う。 同性婚が認められない現状について、雨音の親友が言う「そんなの、子宮が女にしかないからに決まっているじゃない。」というセリフ。結婚は愛し合う二人がするものだ、という母の本能に縛られる雨音に、同期が言った「子供はいらないから結婚考えてないんだけれど、他にメリットある?」というセリフ。『消滅世界』を摂取し終えると、ある種の「感動」を覚える。それは心の奥底にある考えが、物語によって輪郭を与えられ、言葉となって浮かび上がるからだ。そうして違和感からの共感が読者の心に感動を生むのだと思う。 人口受精が発達した世界の結婚とは、合理的な人生のための行為なのか。他者と暮らす意義とは何か。『消滅世界』の摂取により、これまでの価値観は揺らぎ、放心の中で自分にとっての正解を思考する。そんな時に思い出す、「世界はグラデーションの一部だ」というセリフ。世界は常に移り変わりの途中なのに、多くの人が世間の「正常」な流れにはまろうと必死になっているが、それは私も例外ではない。 今を生きる私たちの中に「推し」という言葉は普及しつつある。『消滅世界』においては、キャラ達との恋愛がむしろ主流であり、清潔だと表現される。一方で、キャラは欲望を処理するための消耗品だ、とも言われるのだが、私も推しを持つ人として羨ましさを感じるシーンも多々あった。人物でも、動物でも、キャラでも、「何かを好きである」ことが、人が生きる上で重要だと思う。芥川賞を受賞した『コンビニ人間』の前に発表された今作は、ディストピア小説と分類されることがある。しかし、作品全体が理想郷か反理想郷かは、読者によって感じ方が異なるだろう。「推し」との恋愛を誰も否定しない世界は、私には理想に映る。そして私は、いずれこんな未来が訪れるかもしれない、とどこか無責任に、期待せずにはいられない。★いとう・はるか=武蔵野大学文学部日本文学文化学科3年。所属ゼミは文芸創作ゼミ。言葉を扱う仕事に興味があるため、コピーライティングについて勉強中。