書評キャンパス―大学生がススメる本― 下澤萌加 / 獨協大学外国語学部英語学科3年 週刊読書人2022年5月20日号 号泣する準備はできていた 著 者:江國香織 出版社:新潮社 ISBN13:978-4-10-133922-1 作者はあとがきにて「喪失するためには所有が必要」であると述べている。大学三年生の私は今、喪失できるだけの何かを所有できているだろうか。 この作品は、大切な何かを喪失してしまいそうな気配、あるいは既に喪失した何かの記憶の前に立ち尽くすも、時を進めていかなくてはならない人たちの、十二の物語が収録された短篇集である。 たとえば、「洋一も来られればよかったのにね」のなつめ。 なつめは過去の恋人・ルイのことを思いながら、夫・洋一の母・静子と毎年恒例の温泉旅行に出かける。旅行中、「洋一も来られればよかったのにね」と繰り返す静子だが、なつめは記憶の中のルイを思い続け、悲しみと喪失感に苛まれる。そしてルイのことばかりを思い出してしまうということは、彼を失ったと同時に夫のことを失ってしまったことと同義であると気付く。 夫もルイも失ったなつめは、ここに至るまでいくつもの分岐点で自ら選択し進んできた。 江國香織はそれを別の一篇で「号泣する準備はできていた」と表した。 誰も悲しい結末にたどり着くことなど望んでいない。それでもここへたどり着いてしまうのは、大事なことほど理屈で選択することはできないからだ。その結果が自分でも驚いてしまうほど泣きたくなるような現状だということこそが、人生なのだろう。物語に血が通い、温度を感じるのは、大丈夫だと思っていたい気持ちや、悲しみに気が付いてもぐっとこらえていたい気持ち、過去を懐かしんでしまう気持ちなど、人間の心の奥を明確に捉えているからだ。 登場人物は皆、過去を回想する。しかしこの作品には古ぼけた感じも、色あせた雰囲気も無い。誰もが過去に所有していた、既に失ってしまった何かを取り戻せないことを知っていて、それを無理に取り戻そうとはせず、今を生き、これからの未来を生きる覚悟を持っている。 「手」のレイコもそうだ。レイコには「かつて二人で輝かしい恋をした」愛する男がいた。そしてレイコのキッチンでおでんを作る「好きでもない」たけるを見て、亡くなった母のおでんを思う。レイコはたけるが帰った後は部屋の空気を入れかえ、もう一度お風呂に入ろうと考えている。過去を振り返って感傷的になることがあっても、一秒先の未来を生きていかなくてはならない。その事実を受け止めている様子が、部屋の空気を入れ替えようだとか、熱い風呂に入ろうだとか、ごくささやかな、自分のためだけの予定ともいえないような営みに凝縮されている。 一篇はどれも一場面を切り取ったぐらいの短さで、物事が急激に進展するようなものは無い。明るいわけではないが、悲観的でもない。この作品には一定のリズムを保ったまま、そのような雰囲気がずっと漂っている。嵐の前の静けさのような曖昧な一幕は、江國香織の手にかかると、くっきりと言葉になり輪郭を表す。まだ号泣の準備をしているのかさえ自覚していない筆者が納得してしまうほど、この短い話の中に閉じ込められた号泣の準備の果てにある感情は的確に描かれている。筆者は大人の「びっくりするほどシリアスで劇的」な人生の一部を、作者の言葉を通してたしかに覗き見た。★しもざわ・もえか=獨協大学外国語学部英語学科3年。文学、映画、香水、名探偵コナンが好きです。