クィアという言葉と学問を深く学ぶために 渡辺大輔 / 埼玉大学准教授・教育学・セクシュアリティ教育 週刊読書人2022年5月20日号 クィア・アクティビズム はじめて学ぶ〈クィア・スタディーズ〉のために 著 者:新ヶ江章友 出版社:花伝社 ISBN13:978-4-7634-2002-2 本書は、一九九〇年代にアメリカ合衆国で登場したクィア・スタディーズについて、「この学問を日本の社会・文化の中にどのように接続することができるのか、そしてどのような新たな理論や運動を生み出せるのか」を考える足がかりとして、「アメリカ合衆国でなぜクィア・スタディーズが誕生したのか、その政治的・文化的背景を吟味すること」、「アメリカ合衆国における性的マイノリティの歴史を追いつつ、どのような社会運動が発生し、そしてそれがアカデミズムにおいてどのような理論形成を促したのか、その点を整理すること」を目的として、大学での教科書として使えるようにコンパクトに編集されたものである。 「クィア(Queer)」について本書の言葉を引用しながら説明すると、これは「(男性)同性愛者に対する激しい侮辱語として使用されて」きた言葉であるが、性的マイノリティの権利運動の中で「①本来侮辱的な言葉の意味を逆転させて肯定的に使用され、②異性愛規範に抵抗する人々が緩やかに連帯するために使用されたが、③連帯する人々の間の差異を意識しつつ連帯する必要に迫られた」ことから再度用いられるようになった言葉である。つまり、性的マイノリティ「当事者」がこの言葉を再獲得したもので、積極行動主義(アクティビズム)のあらわれとしての社会運動と相互作用的に形成される理論(クィア理論:Queer Theory)にもつながるものである。 著者は、クィア理論を最初に提唱したラウレティスが言うその意味を「互いの性差と共に人種、階級、世代、地理、歴史・文化・経済・政治的背景などを理解しながら、連帯の可能性を模索すること」とまとめている。したがって、近年にみられる、異性愛規範でないものを「クィア」として「アイデンティティ化」すること(そういった言葉の用い方)にラウレティスは賛同していないこと、ラウレティスが意味することに重なる「インターセクショナリティ」(交差性)がクィア理論の重要な概念の一つであることを紹介している。これは近年、言葉としても再注目されているものである。 こういった理論の形成プロセスを、本書では一八世紀末から一九二〇年代のアメリカにおける第一波フェミニズム、一九六〇年代以降の第二波フェミニズム、一九八〇年代のエイズ・アクティビズムを中心に順を追って整理している。それによって、クィア理論がフェミニズム運動とそれにともなうジェンダー論とに大きな影響を受けて形成されていく様がわかる。そしてこのクィア理論もジェンダー・セクシュアリティをめぐる権力格差への抵抗である社会運動とともにあったことが明確となる。社会運動と理論とがいつでも両輪で前進してきたことを再確認することで、現在インターネット等を媒介にしながらさまざまな形で勃興している「社会運動」を丁寧に検討できるのではないだろうか。 さて、著者も「おわりに」で断りを入れているように、これは「見取り図」であり、そのため、本書の全一〇章のなかでは扱えなかったトピックや議論を深めたいものもある。たとえば医学が発達する前に同性間での性行為を「罪」としてきた宗教と性の歴史。また、本書では必要に応じて言及されているヨーロッパの状況、とくに「人権」の発明に関する歴史。コラムで扱われているフーコーから、「強制的異性愛」からつながるバトラーの考え方にいたる、「アイデンティティ」や「身体 権力 構築主義」(第四章keyword)といった(社会)哲学とクィア理論および社会運動との関係。本書の構成の都合で通歴史的になっていない部分(たとえば第一〇章の「トランスジェンダー」をめぐる歴史)と他の章との時間的関係や相互作用。日本社会の問題との関係など、知りたいこと・考えたいことがあふれ出てくる。これらは大学の授業一五回の中で本書全一〇章を講読した残りの回や途中途中で扱うこともできる。各章冒頭の「keyword」はそういった学習を深めるために大変参考になる(学習者自身でkeywordを見出すこともしたい)。 本書は副題どおり、こういった社会運動と理論を中心とした学問であるクィア・スタディーズをこれから学ぶ「ために」読んでおきたい入門書の一つである。(わたなべ・だいすけ=埼玉大学准教授・教育学・セクシュアリティ教育)★しんがえ・あきとも=大阪公立大学教授・ジェンダー/セクシュアリティ研究。筑波大学大学院博士課程修了。博士(学術)。著書に『日本の「ゲイ」とエイズ』など。一九七五年生。