特筆すべき3つの大きな魅力を持つ一冊 渡辺将人 / 北海道大学准教授・米国政治・外交 週刊読書人2022年5月20日号 ブラック・ライヴズ・マター 運動誕生の歴史 著 者:バーバラ・ランスビー 出版社:彩流社 ISBN13:978-4-7791-2785-4 2020年、白人警官による暴行事件への抗議デモの中で「ブラック・ライヴズ・マター」運動は日本でも広く報じられた。本書はそのBLM運動の成立史だが、2018年原書刊行の本書の焦点は2013年に始動した運動の起源と発展をめぐる歴史にある。著者のバーバラ・ランスビーはイリノイ大学で教鞭を執る歴史学者だ。女性公民権活動家エラ・ベイカーの研究で知られるが、アクティビストとしての顔も併せ持つ。「当事者性」が持ち味のこの著者にしか書けない本作には、特筆すべき3つの大きな魅力がある。 第1に、この運動の特異な性格の解明だ。黒人運動でありながら単なるレイシズムへの抵抗運動ではない。フェミニズムやLGBTQなどセクシャリティの解放に支えられた重層的な運動であることは意外感があるかもしれない。たしかに黒人社会は敬虔なキリスト教信仰の影響で人工妊娠中絶、同性婚などのジェンダーやセクシャリティに絡む争点では保守的な特徴があった。だからこそクィア女性が立ち上げたBLM運動が象徴した黒人運動の世代交代は斬新だった。黒人フェミニズムのダイナミズムの歴史がその謎を紐解いてくれる。 第2に、バラク・オバマ再考の批評的価値だ。BLM運動を刺激した警官の黒人への暴行事件は初のアフリカ系大統領のオバマ政権期に起きている。トランプ大統領への反発で生まれた運動ではない。この逆説性は『オバマ回顧録』再解釈にも繫がる問題で、拙著『大統領の条件』(2021年)でも指摘した点だ。2008年大統領選挙中、オバマは恩師の黒人牧師を人種問題への飛び火を恐れて切り捨て「ポスト人種」時代の虚妄を黙認した。ランスビーは2008年のライト牧師事件を掘り起こし、白人の左翼政治と黒人のラディカルな伝統の「絶縁」の象徴を読み解く。 第3に、バイデン政権以降のリベラル政治の行方への示唆だ。アメリカでは人種や民族を機軸にしたアイデンティティ政治と労働者による階級闘争は断絶状態にあった。著者が指摘するように「ウォール街を占拠せよ」運動も白人中心の運動だった。だからこそ白人の若者のBLMへの合流は左派運動史における革命的な出来事である。2016年に評者はミズーリ州でBLMを現地調査したが、既に参加者の人種は多様でデモ手法には「ウォール街占拠」運動が転用されていた。2020年大統領選挙でバーニー・サンダースをコーネル・ウェストが支持し、人種闘争と階級闘争の連帯が成立した。バイデン政権が政策立案で民主党内の左派に配慮するのは、人種・階級・セクシャリティなど単一争点を乗り越えた新世代の左派連合が無視できない勢力に育っていることと無関係ではない。本書でBLM運動を辿ることでリベラル政治の変容を理解する手掛かりが摑めるだろう。 著者のランスビーは長くシカゴで黒人運動に関与してきた。地元シカゴの運動をめぐる事例研究は特に読み応えがある。本書には膨大な数の活動家や関係者が登場するが、それが運動史を記述する資料的価値を一段と高めている。また、訳者が日本語版に独自に付している用語集は秀逸で、日本の読者には実に有難い道標になるだろう。本書はアメリカ黒人史に興味がある人だけではなく、ジェンダー、セクシャリティ、アメリカ大統領と人種、そしてこれからのアメリカについて関心のあるすべての人に幅広く読まれるべき一冊である。(藤永康政訳)(わたなべ・まさひと=北海道大学准教授・米国政治・外交)★バーバラ・ランスビー=イリノイ大学(シカゴ校)でアフリカン・アメリカン・スタディーズとウィメンズ・スタディーズの教授を務める。