散りばめられたメタファーに多様な解釈が誘発される 土佐有明 / ライター 週刊読書人2022年5月27日号 千代田区一番一号のラビリンス 著 者:森達也 出版社:現代書館 ISBN13:978-4-7684-5913-3 森達也は誠実で信用に足る作家だ――。オウム真理教の施設内への潜行取材を敢行したドキュメンタリー映画『A』『A2』など、タブーなしで対象に迫ってきた彼の作品を見ると、つくづくそう思う。森は著書も多く、いつか今上天皇にフォーカスした作品に挑戦してみたいと公言していたが、いよいよその「作品」にあたる『千代田区一番一号のラビリンス』が届けられた。まず意外であり肝要なのが、これがドキュメンタリーではなく小説だということだ。 小説の舞台は天皇が生前退位を控えた平成末の日本。映画監督の「森克也」は、憲法をテーマにしたフジテレビのドキュメンタリー番組で、憲法一条にまつわる作品を撮ることになる。憲法一条には天皇についての記述があるから、それを入口にして天皇を捉えるという作戦に打って出たわけだ。当然、本人たちに直接取材できるなど、つゆとも思っていなかっただろう。 だが、克也らは意外にもあっさりと天皇皇后との面会に漕ぎつける。いや、面会というよりは「一緒にお茶した」くらいの表現が的確だ。ざっくばらんでフレンドリーで茶目っ気たっぷりのふたりは克也らに、どうか自分たちを下の名前で呼んでくれと言う。ファミリー・ネームのない彼らに対して、克也たちは戸惑いながらも「明仁さん」「美智子さん」と呼ぶ。 そんなふたりの愉快な日常も目を惹く。お忍びで皇居周辺を散策したり、テレビを見て寛いだり、その暮らしぶりは一般庶民とさほど差異はない。スマートフォンを使ってAmazonで買い物する皇后は、100円ショップに興味津々。大江戸線に一度乗ってみたいとも言う。そして、克也たちと交流を重ねるうちに、天皇は彼らと皇居地下の迷宮を冒険することになり……。その末に待っていたものは割愛するが、迷宮内には様々なメタファーが散りばめられており、多様な解釈を誘発する構造を採っている。 森から天皇へのラブレターのような小説。本書をそう指摘する向きがあるのも分かる。思慮深く、慎ましやかで、ユーモアのセンスにも長けた人物として、天皇皇后は非常に好意的に描かれているからだ。森は以前から、天皇についてオープンに語りづらい風潮に異議を唱えてきたが、やはりというべきか、本書の出版も難儀したという。大手の文芸誌や出版社への持ち込みも「役員会で反対された」「むちゃくちゃ面白いけどうちは無理」といった理由で断られたという。発売二週間後の時点で本書への反響は少なく、予定されていた書評が二件立ち消えになったそうだ。 ちなみに、天皇に不敬なことを言うと、右翼団体が街宣車で乗りつけて、出版社などを恫喝するのはよく見られる光景だ。ある大手劇団では、天皇が竹槍でUFOを落としたり、天皇が被差別部落出身者と恋に落ちるなど、剣呑な作風で物議を醸した。当然、その劇団にも街宣車は来た。だが、右翼団体よりも憂慮すべきは、マスコミ報道のほうではないか。皇室ネタをタブー視しながらも、ワイドショーでは暇つぶしの為の「ネタ」として、眞子さんと小室圭さんのことを詮索し続けている。むしろこちらのほうが不敬罪なのではないか。 なお、朝日新聞などの報道によると、平成一六年の園遊会で「日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させることが私の仕事でございます」と米長邦雄元名人(東京都教育委員会委員)が天皇皇后にあいさつをすると、天皇は「強制になるということではないことが望ましいですね」と述べたそうだ。またふたりは、戦争や疫病など、国の失策の犠牲になった人々と積極的に接触してきた。小説ではそんなふたりの思想はややリベラル寄りに描かれているが、これは「こうあって欲しい」という森の妄想の反映でもあるように思う。 最後に管見を。筆者が憲法や皇室についていつもひっかかるのは、天皇に実質、職業選択の自由がないことだ。選挙権も持たない皇族は、自分たちの意思で自らの生き方や進路を決められない。本人たちはどう考えているのだろうか。もしかしたら、エレキギターを手にしてロック・スターになりたかったかもしれないのでは等々、想像は膨らむ限りだ。 憲法では「国民の象徴」とされているふたりだが、象徴とはどのような役割を果たし、どういった形で機能するのか、具体的な例示は憲法一条にも記されていない。これについてはいつまで経っても違和感が解消されないのだが、さて。(とさ・ありあけ=ライター)★もり・たつや=映画監督・作家・明治大学特任教授。一九九七年ドキュメンタリー映画「A」を公開。ほか「A2」「FAKE」「i 新聞記者ドキュメント」等の監督を務める。著書に『「A」撮影日誌』『放送禁止歌』『死刑』など。一九五六年生。