前期・後期に一貫した思想が貫徹 森元斎 / 長崎大学准教授・アナーキズム 週刊読書人2022年5月27日号 プルードン 反「絶対」の探究 著 者:金山準 出版社:岩波書店 ISBN13:978-4-00-061521-1 今も数多くのアナキスト・グループが「なんちゃらコレクティヴ」と掲げて、インフォショップをやっていたり、リーディング・グループをやっていたり、ボランティア・グループをやっている。その「コレクティヴ」概念を肯定的に使った思想家がいた。そう、プルードンである。本書では、「集合」と訳されて語られている。この集合が超重要概念であることを教えてくれ、その可能性をちらつかせてくれているとてもいい本が、本書だ。選挙も悪くはないが、やはり大した結果はもたらさない。ストリート・ファイトは私はかなり好みだが、それでもなお、なんだかなぁという帰結になることもある。そこで、「暴動とも普通選挙ともことなるかたち」(本書、一一〇頁)を求めた結果、プルードンはこの集合の理論に至るのである。諸個人の集合は理性的に、個人とは異なる仕方で形成されており、そこでは相互に依存することもあれば、衝突することもある。絶え間ない話し合いや交渉によってこそ、私たちはこの社会を作り上げていく。とても忍耐強さが求められるが、そもそも社会なんて、そのようにしてしか形成されていないはずだ。なのに、簡単に選挙やらで私たちの代表なるものを決めてしまい、お偉いさんどもがこの社会をあーだこーだ余計なことを、大して議論もせずに決定しがちなのは、どういうことなのか。選挙で当選して議員になったこともあるプルードンだが、その可能性でなく、むしろそれを批判的にもみていたが故に、大変含蓄ある思考の軌跡として語られていたのが、この集合である。 思えば、プルードンの考える「アンチノミー」概念もある種、様々な事象が孕む矛盾を抱えながらも、前進していくことが求められる概念だった。また、「連合」概念も、政治権力の存在を認めつつも、その権限は決して上位の集団のみに全てを委ねるのではなく、権限そのものは下位の集団や個人が担い、そこで絶え間ない議論が尽くされた上で可能になるものであった。 アナーキーな前期プルードンにも、ちょっと先ほど述べたように上位の権限も多少認めるあんまりアナーキーじゃない後期プルードンにも、実は一貫した思想が貫徹しているのである。つまり、より良い社会を私たちが一人一人作っていくために、絶え間ない理性的な議論が必要なのだという、当たり前だけれども、忘れられがちな、しかし極めて重要な考えだ。本書はこの点をしっかりと伝えてくれる。 ここからは、関係があったり、関係がなかったりする、ちょっとした妄想を。この集合という概念は、のちにデュルケームも論じている。もちろん、プルードンの集合とはほとんど、というか、まったく関係ない。とはいえ、集合という概念はデュルケームにとっても、キータームなのはよく知られていることかと思う。デュルケームにとって集合は、結構曖昧な概念で、初期と後期でだいぶ違うことを言っていたりもするし、キータームとは言ったものの、彼の議論そのものにものすごく効いてくるものでもない。なんでキータームとして読めてしまうのかというと、デュルケームの集合は、権力の創発の際にその組織化を促してくれるものであるからだ。これは良い方向に向かえば、まぁ、良いけど、なんだか、怖い方向に行ったら超最悪な感じである。同調圧力が生じ、ともすれば、これが「伝統だから」と議論を尽くさないような雰囲気を醸成してしまう場にも見える。プルードンとはもちろん、この意味では真逆なのだが、ともすれば、プルードンの集合も、このような流れに行ってしまう可能性は否定できないのではないかと思った。 本書の最後にも述べられているように、哲学・思想史の水準での「プルードン研究はまだ始まったばかり」であり、まだまだ汲めども尽きぬ思考のヒントがプルードンにはあるんじゃないかと思っている。本書を読むしかない!(もり・もとなお=長崎大学准教授・アナーキズム)★かなやま・じゅん=北海道大学大学院准教授・近現代フランス思想史。東京大学大学院博士課程修了。一九七七年生。