現代社会の諸問題と議論の起点 川村のどか / 批評家 週刊読書人2022年6月3日号 道徳教室 いい人じゃなきゃダメですか 著 者:髙橋秀実 出版社:ポプラ社 ISBN13:978-4-591-17326-8 平成二十九年に文部科学省によって学習指導要領が改訂された。そこには新たに「特別の教科 道徳」の項目が追加されており、道徳の授業を小学校で実施するよう定められている。そもそも学習指導要領によれば、学校で教える「道徳」とは教育活動全体を通じて行うものとされていた。それを特定の授業としなければならなかったのは、いじめの社会問題化により、子供たちに「道徳」を教える必要性が高まったからなのだという。つまり、いじめ対策が「道徳」授業化の要因だったわけである。 ところが、教育関係者や専門家への取材により、「道徳」の授業はむしろ逆の結果を生んでいることがわかっていく。たとえば、「道徳」の授業では「考えている自分」「感じている自分」といった語法が多用される。こうしたメタ認知を意識させ過ぎると、子供たちは行動する前に「行動する自分」を考え出してしまい、すぐに動けなくなってしまうのではないかと著者は指摘する。口を動かす前に考え込んでしまう習性のせいで、子供たちはコミュニケーションに挫折するようになる。また、「道徳」の授業では「みんな」を重視させるが、その実態が熟考されることはあまりない。その結果、「みんな」は正体のよくわからないまま規範として機能するようになり、不毛な争いを生じさせる。 ツイッターで日々起きている刺々しいやりとりを観察すれば、それがどのようなものかは容易に想像できるだろう。しかもそこで「みんな」に縛られて刺々しいやりとりをしているのが大人であることに思い至れば、「道徳」がもはや子供たちだけの問題でないことは明らかである。 規範意識は強いが、お互いに上手くコミュニケーションを取ることができないせいで、「みんな」から外れた子供は理由を説明する機会も与えられずにいじめの標的になる。ユーモラスな語り口ながらも、著者の批判精神はこうした教育の失敗を暴き立てていく。それが最大限に発揮されるのは、「初めてロボットがスタッフとして働いたホテル」としてギネスに登録されている、長崎県佐世保市にある「変なホテル」を訪れた際である。そこで働いていたロボットたちは「感じている自分」を表現し、「みんな」に基づいて行動する。つまり、「道徳」の授業を完全に体現した存在だったのだ。著者が危惧するのは、現在の「道徳」教育によって、ロボットのような人間が街に溢れかえることである。だが、「バーチャル・リアリティ」という言葉が人口に膾炙した事実を例に、こうした事態は思っているよりもすぐ近くまで迫っているのではないか、と著者は示唆する。なぜなら「仮想」の意味に誤訳されている「バーチャル(virtual)」とは、本来「道徳的美点、徳目」を意味しており、すでに社会には「バーチャル・リアリティ(道徳的現実)」が浸透しているからだ。 こうした主張には傾聴に値するものがある一方、「道徳的現実」を生きる私には危うく思えた点があることを指摘しておかなければならない。ある女子児童から「男を好きになれない」と言われた際、著者は「LGBTQ+の問題ではないかと思った」と書くが、この言い方は性的マイノリティの存在そのものを問題視していると捉えられかねない。また、発達障害者のコミュニケーション障害について、コミュニケーションには「多かれ少なかれ障害があるのは当然のこと」というのは当事者を傷つける記述にならないだろうか。同じように、最近は何でもかんでもハラスメントになる風潮があり、それに対してよくわからないと漏らすと「セカンド・ハラスメント」になるとユーモラスにぼやいて見せるのは、被害者にとって残酷な身振りである。こういう指摘は斜めの視点から現代の諸問題を切ってみせる著者には退屈かもしれないが、退屈な道徳が語る他者への気遣いにも重要な面があると私は思う。いずれにせよ、現代社会について議論の起点となるような一冊である。(かわむら・のどか=批評家)★たかはし・ひでみね=ノンフィクション作家。著書に『からくり民主主義』『トラウマの国ニッポン』『不明解日本語辞典』『一生勝負』など。一九六一年生。