書評キャンパス―大学生がススメる本― 塩田美晴 / =帝京大学文学部日本文化学科3年 週刊読書人2022年6月17日号 十代に共感する奴はみんな嘘つき 著 者:最果タヒ 出版社:文藝春秋 ISBN13:978-4-16-791280-2 高校受験が終わったとき、「高校生活は楽しいよ」と言ってくる大人の言葉を薄っぺらいと感じていたのに、いつしかそれを中学生に言うようになってしまった。小説ばっかり読んでいた先輩が、大学を卒業してから、これ面白いよってビジネス本を薦めてきて、泣いた。こうやってつまんない大人が完成していくんだと思っていたとき、この本に出会った。] 主人公は投票権も生活力も持っていない女子高校生唐坂和葉。和葉の、ひねくれていて、でも真っ直ぐな感性が、自転車で坂道を一気に下るみたいにこの厚くはない本の中につまっている。「感情は使い捨てのティッシュみたいなものだよ。昨日悲しかったからって、今日は笑っていい。悲しいっていう感情、おもしろいっていう感情に、コントロールされる筋合いはない」。現代における感情の使い方、「エモエモ交換」に違和感を抱く和葉は、自分だけの感性を守らずに捨てていきたいという。「弱いとえらいの? 強いと悪いの?」「弱いとか自分で言う?」。クラスで孤立している同級生が、友達がいなくてクラスでも発言力がないから自分は強くないと言ったとき、その発言を、価値観を「幼い」と一掃する。そんな彼女も、幼い。とげとげしているけれど、汚くない言葉で和葉はずっと自分に、家族に、同級生に、世間に怒っている。でもそのすべてを、愛していないわけじゃない。怒っている彼女はなにも諦めていないし、自分の価値観で物事を見据えている。ちゃんとは語られていないけれど、それはひしひしと感じられた。 和葉の言葉に、共感できる部分も少なからずあるはずだ。 例えば和葉の、私が不幸であることが、他の人から見たらくだらないことなのかもしれない。じゃあなんで私はこんなに傷ついているの?ってちょっと死にたくなる気持ち。そんな希死念慮を、母親が作ったからあげの油に溶かして飲みこめる高校生活。誰しもが一度は体験する心の浮き沈みの記憶の端っこをつかんで引っ張り出す。こんなこと高校のとき思っていたかもって惹きつけられる文句と反省、そしてちょっとした恋愛っていうサブカルとエンタメ。 実は本書のメインディッシュはあとがきで、ここにすべてが集約されていると思う。十代が終わると象徴的に見えてしまうもの。青春という言葉の都合の良さ。それを語りたくなってしまうこと。「その時間を自分が生きてきたという、その事実はあまりにも大切で、すべてが、そこを起点に動いているという錯覚すらあった」「積み重ねた過去の結果として、集積として自分があると思いたい」。けれど、それは自分を、侮辱する行為に他ならないと著者は言う。懐かしいという言葉ですべてをあいまいにして、わかったつもりになる。これは「自分への冒涜」である。「今」の自分は軽いものではないのに、過去に縛り付けてしまうのではあまりにもったいない。過去も未来も今の自分には関係なくて、「今」が大切で、尊いものなのだと。こうしてこの本の書評を書くことすら、いけないことなんじゃないかと思えるのが、この本の魔力だ。今までにこんな経験をしてきた、自分を構成するものはこれだ、と、これから先の私は何回も現在完了を分析して、書いて、話して、そして社会人になっていくのだろう。そんなとき、この本を思い出して、そのときの今を大切にしたい。今の私はそう思っている。★しおた・みはる=帝京大学文学部日本文化学科3年。無類の白米好き。カレーライスやチャーハンをおかずに白米が食べたいが、誰も共感してくれないため飯友を募集中。