二〇世紀の「自由」の光と影 小野菜都美 / 北九州市立大学他非常勤講師・フランス文学・本屋 週刊読書人2022年6月17日号 ファミリア・グランデ 著 者:カミーユ・クシュネル 出版社:柏書房 ISBN13:978-4-7601-5441-8 有名な学者である継父による弟への性暴力を告発した本書は、昨年の刊行と同時に本国フランスで一大スキャンダルを巻き起こし、性暴力に関する法の改正にまで作用した。そのため「著名な継父の性暴力」という部分が一人歩きしがちな本だが、実際は多くのページが母に割かれ、継父を含めた家族に対する愛憎の葛藤が綴られている。 母のエヴリーヌ・ピジエは本書によれば「政治学と公法で教授資格(アグレジェ)を得た初めての女性たちの一人」(アグレジェとは博士号取得後に受けられる大学教授採用試験のこと)であり、一時期カストロの恋人でもあった伝説的な女性である。幼い頃の著者にとって、母は憧れの存在だった。 実父は「国境なき医師団」の創立者の一人であり、八〇年代には大臣に就任し、「フランス人にもっとも好まれる人物」となったベルナール・クシュネル。 そして継父は本書では名前は出されていないが、オリヴィエ・デュアメル。メディアではすでに名前が公表されており、内容にもかかわるため明らかにした上で本稿を進めることをご了承いただきたい。デュアメルはフランスの政治学の核となる国立政治学院のトップを務め、テレビやラジオでもおなじみの公法・憲法学の「アイドル的人気」の学者だった。 要するに母、実父、継父は名だたる左派知識人であり、自由と平等の戦士だった。とりわけピジエとデュアメルは第二のサルトルとボーヴォワールとも呼ばれていた。著者が私法を専門とする学者になったのも、二人の影響に他ならないだろう。 だが本書で明らかになるのは、そんな彼らの自由への闘争が家族にもたらした抑圧である。途上国に赴く父はたまに帰ってきても、恵まれた環境でだだをこねる自分の子たちに耐えられなかった。サルトルの支援を得て、フェミニストの母に子どもを押し付け旅立つ父。母は自身の「離婚の自由」を喜ばない子どもたちを非難した。「女は泣いてはいけない」と娘に言いながら、自分の母(著者の祖母)の死に泣き崩れる。著者は母の「自由」の障害になっていると感じながら、それでもアルコール中毒になった母に付き添い、自分を殺して大人になった。 また本書には母と継父が他の性被害について嘲笑する場面も出てくるが、彼らの唱える性の解放という思想は、言うまでもなく時代と密接に関係している。規範から性を解放し、背徳とされるものを再定義した当時の思潮を表す例には、フーコーからゲンズブールまで枚挙にいとまがない。性暴力が他の時代にも存在するとはいえ、家庭内の様子を描いた場面を読んでいると、こうした流れと性暴力は無関係ではなかったのだろうと思われる。 新しいモラルと自由を体現した大人たちの、「自由」の履き違えによって抑圧され、尊厳を奪われたクシュネル姉弟。しかし彼女は決して、左翼的思考も、フェミニズムも、自由も否定していない。むしろ親から受け継いだ思想を誇りに思い継承している。それでもなお、いや、だからこそというべきか、その闇に向き合ったのだ。 ゆえに本書は、セレブの醜聞にとどまるものではない。我々の近代的価値観は、その先駆者たちの実践する「自由」に抑圧され、足枷にならぬようにと怯えながら生きた子ども時代のクシュネル姉弟や、彼らのような犠牲者の上に成り立っている。モラルの試行錯誤の中で、理想と現実のギャップや、「自由」の暴走の犠牲となった者たち。フェミニズムや性の解放がそのあり方を変えつつある今、本書は過去の運動の功罪について考えさせてくれる。だが今日の我々もまた、どこかに彼らのような犠牲者を生んでいないだろうか。著者の姿勢はそうしたことまで思いを巡らせてくれる。(土居佳代子訳)(おの・なつみ=北九州市立大学他非常勤講師・フランス文学・本屋)★カミーユ・クシュネル=私法を専門とするフランスの大学准教授。本書が初の著書となる。一九七五年生。