アニメーションからアニメへ、劇的に変化した一五年 西村智弘 / 映像評論家・美術評論家 週刊読書人2022年6月17日号 日本アニメ史 手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明、新海誠らの100年 著 者:津堅信之 出版社:中央公論新社 ISBN13:978-4-12-102694-1 『日本アニメ史』を刊行することは、アニメーション史が専門の津堅信之にとっていわば使命のようなものであろう。すでに二〇〇四年に津堅は、日本のアニメーション史として『日本アニメーションの力』を出版していた。津堅の最初の著書で、その後の彼の活動を方向づけた重要な本である。津堅が日本のアニメーション史を手がけたのは今回で二度目になる。それでは、『日本アニメーションの力』と比較して『日本アニメ史』のどこが変わったのか。 まず前者のタイトルが「アニメーション」、後者のタイトルが「アニメ」であることに注意したい。『日本アニメ史』は、アニメとアニメーションの区別を論じるところからはじまる。アニメはアニメーションの略語だが、日本で制作された商業作品としてのアニメを、技法としてのアニメーションと区別して用いることがある。アニメは、日本で独自に発展した作品を他の国の作品と差別化するための言葉でもあった。津堅は、デジタル技術の発達によって技法としてのアニメーションが意味をもたなくなり、両者の区別が失われたと語っている。「アニメーション」が「アニメ」になったことには、こうした考えが反映しているようだ。 『日本アニメーションの力』の副題は「85年の歴史を貫く二つの軸」で、『日本アニメ史』の副題は「手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明、新海誠らの100年」である。八五年が一〇〇年になり、一五年分の歴史が新たに追加されていた。この一五年は、他の時代と比較にならないほど劇的に変化した時代であって、アニメーションが細分化すると同時に多様化している。映画、テレビ、ビデオに続き「第四のメディア」としてインターネットが登場し、アニメーションの流通媒体がいっきに拡大した。またアニメーションが実写映画、ゲーム、バーチャルリアリティなどの隣接するジャンルに拡張し、多角的な形態を取るようになった。 『日本アニメーションの力』のいう「二つの軸」とは手塚治虫と宮崎駿のことで、この二人を軸に日本のアニメ史を切り取ったところが斬新だった。一方、『日本アニメ史』の副題では、手塚と宮崎の他に庵野秀明と新海誠があげられている。これは、単に二つの軸が四つに増えたというより、むしろ中心的な軸を見いだすことができなくなった状況を示しているのではないか。現代のアニメは、手塚と宮崎だけで語ることができるほど単純ではなくなったのである。 津堅は、日本のアニメブームを三つに分ける。第一次ブームは『鉄腕アトム』がヒットした一九六〇年代半ば、第二次ブームは『宇宙戦艦ヤマト』がヒットした一九七〇年代半ば、第三次ブームは『新世紀エヴァンゲリオン』がヒットした一九九〇年代半ばである。そして津堅は、新海誠の『君の名は。』、片渕須直の『この世界の片隅に』、山田尚子(京都アニメーション)の『映画 聲の形』が公開された二〇一六年を第四次アニメブームに位置づける。しかしわたしは、本当に第四次アニメブームが到来したのか確証をもつことができない。それは、従来のアニメブームがテレビアニメ中心だったのに対し、二〇一六年の三作品が劇場アニメでテレビアニメではないからでもある。二〇一六年を歴史化するにはあまりにも変化が激しく、時代が近すぎるのかもしれない。 歴史記述とは、単に事実を羅列すればよいというものではない。歴史を眺める視点を提示することも歴史記述の役割であろう。この点でいうと『日本アニメ史』は、『日本アニメーションの力』と比較して雑然とした印象である。とくに最近の記述を読んでそう思う。しかし、これはしかたがないことなのだ。なぜなら現代は、日本のアニメが産業として国際的にも巨大化する一方、コマ撮りであることの意味が拡散し、なにがアニメーションなのか定義することが困難になっているからである。明らかにアニメをめぐる状況は混迷の度合いを加速させている。わたしは、現代のアニメ史を書くことの困難さを痛感せざるをえない。『日本アニメ史』がこの困難さに対して果敢に挑戦した著書であることは間違いない。(にしむら・ともひろ=映像評論家・美術評論家)★つがた・のぶゆき=アニメーション研究家・日本大学藝術学部講師・アニメーション史。著書に『日本のアニメは何がすごいのか』『ディズニーを目指した男 大川博』『新版 アニメーション学入門』『新海誠の世界を旅する』など。一九六八年生。