「もの」が作家を語り、作家の表現作法を炙り出す 小池昌代 / 詩人・作家 週刊読書人2022年6月24日号 Nさんの机で ものをめぐる文学的自叙伝 著 者:佐伯一麦 出版社:田畑書店 ISBN13:978-4-8038-0397-6 副題が本書をよく表している。「ものをめぐる文学的自叙伝」。しかしいつしか、「もの」が作家を語り、作家の表現作法を炙り出す。例えば「カメラ」の章。野鳥の好きな「私」は、かつて名人から野鳥を撮影するコツを教わる。それは、野鳥の声がしたり姿が動く方へ双眼鏡を向けるのではなく、「自分のカメラのファインダーの枠の中に野鳥を入れるようにすること」。何気ない話だが心の深みに触れる。書く以前の、「ものの見方」に関わる話だが、対象を追いかけて自分が動くのではない。自分は誰からも見えない受動の目となって対象を待つ。すなわち鳥が手の内に油断して入ってくる、その機をじっと待つ。読んでいると、文章中の視点が安定していて、心地よい重みが感じられるが、それはそのまま、「私」というものが持つ安定と重みなのだと言ってみたい気がする。文章全体が重いというのではない。水溶き片栗粉のように、文の底の方に何かが沈んでいる感触があり、それが読む者の心に心地よい負荷をかける。 作家は電気工として働いていた時期にアスベストを吸い込み、今も喘息の持病を抱えるようだが、「ピークフローメーター」の章には息の話が出てきた。医師の言葉、「吸うことよりも息をはくことのほうが大事」から、話は文章の息づかいへ。私は、この作家の安定と見えていたものが、実は自己の資質との格闘のさなかの、上澄みの印象にすぎないのかもしれないと思った。 個人的なことを記すと、私はこの作家と同年同月生まれ。時を隔て二度ほど会ったことがある。微光を背中に背負っているかのような、柔らかくて温かい存在感が、思い出すとき、蘇る。そしてその柔らかなものは、内に何か、固く不変のものを包んでいたのだったが、それはあの宮澤賢治が「貝の火」で描いた宝玉のようなものであろうか。兎のホモイがひばりから貰った、至極厄介な貝の火という宝玉。それは「才能」と簡単に言え換えられるようなものではないが、生涯の中で、時に異様な光り方をしたり、時に光を失い、不意に曇ったりする。際どく恐ろしい、自己を映す石。そういうものを、作家は皆、持て余し、手なづけながら書いているのだろう。 佐伯一麦が携える宝玉は、派手な光りかたはしない。しかし奥の方で、時折、チラチラと、鈍く持続的に瞬くことをやめない。 「陶磁器」では、高校時代、放課後に開催されていた「金曜セミナー」の記憶が記される。そこで「私」は、広津和郎の散文精神につき「中間者の思想」と題して発表した。広津の記した散文精神とはすなわち、〈どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通して行く精神〉。佐伯一麦の文に重なる。地面にゴロゴロと台車の引かれていく響きがする。常ならぬ凸凹道を、作家は常なる平坦な顔で、淡々と進んでいく。 「手紙」の章を読むと、この作家が先輩作家から愛され、印象深い手紙を受け取った人であることがわかる。初めての単行本『雛の棲家』を献本した際、八木義徳氏から、「この作品から私は何か不思議な微笑を誘われました」という一文が来た。佐伯氏に微笑した人は本書中、もう一人いて、それが鷲田清一氏。風呂敷包みを手にした作家を見て「書生みたいやねえ」(「風呂敷」)。風呂敷の中身は選考会へ持ち込む候補作品や候補本。成熟の中に少年の面影が垣間見える。(こいけ・まさよ=詩人・作家)★さえき・かずみ=作家。著書に『ショート・サーキット』(野間文芸新人賞)『ア・ルース・ボーイ』(三島賞)『遠き山に日は落ちて』(木山捷平賞)『鉄塔家族』(大佛賞)『ノルゲ Norge』(野間文芸賞)『還れぬ家』(毎日芸術賞)『渡良瀬』(伊藤整賞)『アスベストス』など。一九五九年生。