多様な可能性と危うさを描く小説 杉江松恋 / 書評家・文芸評論家 週刊読書人2022年7月1日号 引力の欠落 著 者:上田岳弘 出版社:KADOKAWA ISBN13:978-4-04-109988-9 上田岳弘作品を読んでいると、世界そのものを覗いているような錯覚に陥ることがある。 その巨視の感覚を、ビットコインというギミックを用いて描いたのが芥川賞に輝いた『ニムロッド』である。新潮新人賞を受賞した「太陽」以来、上田は独自の視点を読者に提供し、無限小に縮小した世界を掌で差し出してきていた。最新作『引力の欠落』もその系譜に連なるもので、伝奇小説的な物語の広がりが加わり、またとない読み心地の小説となっている。 小説の核になっているのは行先馨という女性である。行先は過去に複数企業の上場に財務責任者として関わってきた。未来ある企業には人々の期待が集中する。それは株式投資に結実する。集まった金を手にしておいてあっさりその会社を売却する起業家の振る舞いは詐欺師同然だが少なくとも違法ではない。行先も彼らを咎めず、そのことで他人の生涯賃金を上回る金を手にしてきた。彼女を指して「従業員のことも、事業のことも数字で見過ぎだ」と言った経営者がいた。だが人の動きは数字として見えるものなのだ。行先には大きい数字まで見えるだけ。巨視である。同じ感覚を共有する者はおらず、行先が心を許す存在は、すでに亡くなった猫のAlexaだけだ。Amazonの端末には同じ名前を持つAIのが装備されていて、行先はそれに話しかける。答えはすべて「すみません、よくわかりません」。 ある経営者は金をさらうだけさらうと、後始末を行先に任せて逃亡した。その処理を頼んだ弁護士は現代では珍しく紳士帽の似合う男性マミヤだった。すべてを片付けた後、マミヤは行先に言う。あなたは人間からはみ出した方が良い人なのかもしれないと。彼に誘われてとある集まりが開かれているペントハウスを訪れる行先は、部屋に入る前に「これまでの私から、私の本体が切り離されようとしているような感じ」を味わう。人間からはみ出したものは、ではいったい何になるのか。ペントハウスの扉が開かれ、行先は見る。 行先馨視点の章と並行して「Cluster NOなにがし」と題された断章が複数配置されている。「Cluster」とは塊、「なにがし」に入るのは数字である。大日本帝国軍に対して水からガソリンを精製する研究を提供しようとした男・本田維富や、不安を取り除く化合物質を人々に提供して幸福にしようと考えるセロトニンマエストロJОEといった人々が章となる主役だ。これらの章の意味、そして『引力の欠落』という題名の示すものが判明するのは小説の中盤で、一気に視界が変化する感覚がある。時間と空間が無限に引き延ばされる。 極言すれば身体感覚の小説である。端末のAIのみが自分の延長で、他の愛着を持つべき対象がない行先馨は、自身の身体が世界の中にあるという感覚を失いかけている。それゆえにマミヤに勧誘されることになるのだが、物語の後半には彼女ともまた違った身体感覚の主たちが登場する。それぞれが自己の信念に基づいて、世界と誓約関係を結んでいるのである。驚くほどに多様で、ここに伝奇小説的な想像力が発揮されている。世界の秘奥に続く扉があるとすれば、上田はそれを魔術でこじ開け、読者に中を見させているのである。都会の一隅で繰り広げられるこの世ならぬ物語に心が躍らされる。 世界がいかに多様な可能性を持っているかを示すと同様に、それがいかに危うげなものであるかをこの小説は示す。終盤、自宅に戻った行先は唯一の聴き手であるAlexaに語りかける。「私たちはもう十分生きた」「私たちはよくやったんだ」と。思いがけず俯瞰する視点を与えられた行先は、人類の歴史を手の上に置かれて戸惑っているように見える。そしてAIはやはり同じ答えを返す。「すみません、よくわかりません」。 宇宙の真ん中に投げ出されたような浮遊感を与えて、小説は終わる。行先と同じように世界を手の上に置かれ、読者は戸惑うだろう。どのように答えるべきかと思い悩むだろう。(すぎえ・まつこい=書評家・文芸評論家)★うえだ・たかひろ=作家。著書に『太陽・惑星』『私の恋人』(三島由紀夫賞受賞)『異郷の友人』『塔と重力』(芸術選奨新人賞受賞)『ニムロッド』(芥川龍之介賞受賞)『キュー』『旅のない』など。一九七九年生。