作品群中でも珍しいスタイルと、その後に繫がる議論の展開 冬木糸一 / 書評家 週刊読書人2022年7月1日号 マゼラン雲 著 者:スタニスワフ・レム 出版社:国書刊行会 ISBN13:978-4-336-07132-3 スタニスワフ・レムの生誕一〇〇周年(二〇二一年)にはじまった、国書刊行会によるシリーズ〈スタニスワフ・レム・コレクション〉の第二期。そのラインナップの目玉にあたるのが、レムの第二長篇にあたる本作『マゼラン雲』である。なぜ目玉なのかといえば、本作はレムが晩年までポーランド国内での再販と外国語への新たな翻訳を拒み続けた結果、本邦で未訳のまま残っていた数少ない作品のひとつなのだ。 本作の舞台は三二世紀のはるかな未来。共産主義が最終段階に到達し、科学と技術も発展を遂げた社会で、ついに人類は地球に最も近い恒星であるケンタウルス座α星へと有人探査船を送り込むことを決定する。その乗組員にして医師の男性を語り手に据え、宇宙探査の長い旅──船内では事件はほとんど起こらず、孤独や虚無との戦いが大きなテーマとなっていく──と、その果てに訪れる未知の生物とのファーストコンタクトを描き出す、スタイルだけみればオーソドックスな宇宙冒険SFである。 なぜレムが本作を封印したのかといえば、刊行当時(一九五五)のポーランドの情勢もあって、共産主義を礼賛するような作品になっていたこと、リルケに影響を受けた文体で、甘ったるいロマンスを描き出したことに不満を抱いていたことなどがレム自身によって書き残されている。だが、当時のポーランドの時代背景とレムのその後の思想を知った上で読めば、共産主義の話題自体は出るものの、礼賛するような描写は注意深く避けられており、それ自体はマイナスポイントには感じられない。 加えて、レムの自己評価の厳しさとは裏腹、本作には無数の読みどころが存在している。たとえば、長大な時間がかかる宇宙の目的地までの移動を省略せず、丹念にその虚無、苦しみまでをも含めて描き出している点がそのひとつだ。宇宙探査船ゲオ号に乗り込んだ二百二七名の乗組員は、最初は地球との距離も近くその情報も得られているが、次第にその間隔は長く、届かなくなり、閉鎖空間に閉じ込められていることからくる孤独感も相まって、精神に異常をきたした人々が増えていく。 目的もなく通路をぶらつく人、睡眠に障害を抱え睡眠薬に頼る人の増加。起床し、着替えをし、食事をし、といった些細な日常の行為が急にバカバカしくなり、虚無に落ち込む日々と、全員が参加必須の「舞踏会」を企画するなどしてそうした孤独に対抗する過程──が、本作では念入りに描き出されていく。こうした閉鎖空間下での孤独の苦しみは、期せずしてコロナ禍にある我々の状況、精神面と重なる面もある。 そうした旅も佳境に入ったある時、旅の一行は未知の生物の痕跡を発見するのだが、その前後の宇宙と、そこに住まう生物についての議論──死は生物にとって不可欠のものなのか、地球上の生命とはまったく異なる経路で生命体は存在しうるのだろうか──といった後の作品に繫がる議論が本作で展開していくのもキャリアの初期作品としての魅力といえる。とはいえ、レムの多数ある著作の中で本作の評価が一段落ちるのも否めない。五〇〇ページ以上を使って、ゆったりとしたペースで語り手の人生を幼少期から振り返り、船内での出来事を事細かく描写していくが、それが退屈さを感じさせる場面も多々あるからだ。それは長い宇宙探査の虚無感と退屈を読者に追体験させる狙いもあるはずで、痛し痒しではあるのだけれども。 必読の傑作というわけではないが、レムの作品をこれまで多数読んできた読者であれば、リルケへの傾倒がたしかにみてとれる時に息をのむほど美しい文体。レムの作品群の中でも珍しいスタイル(ロマンスをその中心におき、語り手の過去・経歴を詳述しながら、宇宙船内という閉鎖空間内での人間模様を描き出していく)など、既作にはない面を発見し、楽しむことができるはずだ。今はただ、幻の長篇と言われてきた作品が日本語で読めるようになったことを喜びたい。(後藤正子 訳、沼野充義解説)(ふゆき・いといち=書評家)★スタニスワフ・レム(一九二一―二〇〇六)=SF作家。旧ポーランド領ルヴフ(現ウクライナ領リヴィウ)に生まれる。著書多数。「クラクフの賢人」として知られた。